言志四録 / 言志晩録 第二百三十四条 善を責むるの言は遜りて出だす
責善之言。尤宜遜以出之。勿絮叨。勿讙呶。
書き下し
善を責むるの言は、尤も宜しく遜りて以て之を出だすべし。絮叨すること勿れ。讙呶すること勿れ。
現代語訳
人に善を行うよう求める言葉は、とりわけへりくだって口にするのがよい。くどくどと言ってはならない。声高にわめき立ててはならない。
解説
「善を責む」は『孟子』に「善を責むるは朋友の道なり」とあるように、友人どうしが互いに善を勧め合うことです。正しいことを勧めるのだから、遠慮なく言ってよいと考えがちですが、一斎はむしろそういう言葉ほど謙虚に伝えよと言います。「絮叨」はくどくどと繰り返すこと、「讙呶」はやかましく言い立てることです。正論は、相手を見下す口調やしつこさを伴うと、中身が正しいほど反発を招きます。前の条の「二三分を余す」と合わせて、人に改善を促すときの作法を示しています。忠告や助言をするとき、内容の正しさより伝え方で相手の受け取り方が決まることは少なくありません。自分の言い方が相手の耳を閉ざしていないかを考えさせます。
この章句が説くこと
忠告謙虚伝え方朋友言葉
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