慎思録 / 巻之六
杜詩曰。乾坤萬里眼。時序百年心。言遊觀方土之濶。經歷年所之久也。予自壯歲遊歷於諸州多矣。年齒亦逾中壽。而經世久矣。與老杜賢愚固雖不同。然經過頗相似。然則不樂而何爲乎哉。
新字:杜詩曰。乾坤万里眼。時序百年心。言遊観方土之濶。経歴年所之久也。予自壮歳遊歴於諸州多矣。年歯亦逾中寿。而経世久矣。与老杜賢愚固雖不同。然経過頗相似。然則不楽而何為乎哉。
書き下し
杜詩に曰く、乾坤万里の眼、時序百年の心と。方土の濶きに遊観し、年所の久しきを経歴することを言ふなり。予壮歳より諸州に遊歴すること多し。年歯も亦中寿を逾えて、世を経ること久し。老杜と賢愚固より同じからずと雖も、然れども経過は頗る相似たり。然らば則ち楽しまずして何をか為さんや。
現代語訳
杜甫の詩に「天地万里を見渡す眼、時の移ろい百年を思う心」とあります。広い土地を遊び見て回り、長い年月を経験することを言っています。私は壮年のころから諸国を遊歴することが多く、年齢も中寿を越えて、長く世を経てきました。杜甫とは賢愚がもとより違いますが、たどってきた道のりはかなり似ています。そうだとすれば、楽しまずに何をしましょうか。
解説
杜甫の「乾坤万里の眼、時序百年の心」の句を、広く旅し長く生きた自分の人生に重ねて、楽しまずにいられようかと述べた条です。句は杜甫の晩年の詩「春日江村」の一節とされます。益軒は藩命で京都や江戸にたびたび赴き、諸国を旅して『東路記』『己巳紀行』など多くの紀行を著しました。中寿は一般に八十歳前後を指します。広い世界を見て長い時間を生きた経験そのものを楽しみとする姿勢は、旅と歳月を重ねることの豊かさを教えてくれます。
この章句が説くこと
楽しみ旅杜甫経験晩年
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