言志四録 / 言志後録 第六十八条 大言を好む者は小量
有好爲大言者。其人必小量。有好爲壯語者。其人必怯懦。唯言語不大不壯。中有含畜者。多是識量弘恢人物。
新字:有好為大言者。其人必小量。有好為壮語者。其人必怯懦。唯言語不大不壮。中有含畜者。多是識量弘恢人物。
書き下し
好んで大言を為す者有り、其の人必ず小量なり。好んで壮語を為す者有り、其の人必ず怯懦なり。唯だ言語大ならず壮ならずして、中に含蓄有る者は、多くは是れ識量弘恢の人物なり。
現代語訳
好んで大きなことを言う者がいるが、その人はきっと器が小さい。好んで威勢のいいことを言う者がいるが、その人はきっと臆病である。言葉が大げさでも威勢がよくもなく、その中に含みのある人こそ、多くは見識と度量の広く大きい人物である。
解説
言葉づかいから人物の器を見抜く一条です。大きなことを好んで言う人は実は器が小さく、威勢のいいことを好んで言う人は実は臆病だ、と一斎は断じます。大言や壮語は、自分の小ささや不安を覆い隠すための身振りになりがちだからでしょう。反対に、言葉は控えめで派手さはないが、その奥に含みがある人こそ、見識も度量も大きい。論語の「巧言令色鮮なし仁」や「君子は言に訥にして行ひに敏ならんことを欲す」とも響き合う人物観です。採用や人事で人を評価するとき、あるいは自分の話しぶりを振り返るとき、言葉の大きさと中身の大きさが必ずしも比例しないことを思い出させてくれます。
この章句が説くこと
人を見る目言葉度量含蓄謙虚
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