慎思録 / 巻之六
吾生既躋壽域。人間之飮食嗜好遊觀笑談。諸快樂之事。頗既經歷了。苟尙貪求而不饜。可謂不知止足之道也。唯以澹泊寡欲爲分之宜。故飮食取順生。衣服取適體。凡奉身之物。皆不須分外豐美。日夜從容安靜。聊養殘軀。而自樂。其他得失毀譽死生禍福。皆順天命。而不可憂而已。
新字:吾生既躋寿域。人間之飲食嗜好遊観笑談。諸快楽之事。頗既経歴了。苟尚貪求而不饜。可謂不知止足之道也。唯以澹泊寡欲為分之宜。故飲食取順生。衣服取適体。凡奉身之物。皆不須分外豊美。日夜従容安静。聊養残躯。而自楽。其他得失毀誉死生禍福。皆順天命。而不可憂而已。
書き下し
吾が生既に寿域に躋る。人間の飲食嗜好遊観笑談、諸の快楽の事、頗る既に経歴し了る。苟も尚ほ貪求して饜かずんば、止足の道を知らずと謂ふべし。唯だ澹泊寡欲を以て分の宜と為す。故に飲食は生に順ふを取り、衣服は体に適ふを取る。凡そ身に奉ずるの物は、皆分外に豊美なるを須ゐず。日夜従容安静にして、聊か残軀を養ひて自ら楽しむ。其の他得失毀誉死生禍福は、皆天命に順ひて、憂ふべからざるのみ。
現代語訳
私の生はすでに長寿の域に達しました。人の世の飲食や嗜好、遊覧や談笑など、さまざまな快楽のことは、もうかなり経験し尽くしました。もしなおも貪り求めて飽き足らないなら、止まることと足ることの道を知らないと言うべきです。ただ淡白で欲を少なくすることを分にかなったこととします。だから飲食は生命に従うものを取り、衣服は体に合うものを取ります。およそ身を養う物は、どれも分を越えて豊かで美しいものである必要はありません。昼も夜もゆったりと安らかに、いささか残りの体を養って自ら楽しみます。そのほかの得失・毀誉・死生・禍福は、すべて天命に従って、憂えないだけです。
解説
長寿の域に達した益軒が、快楽はもう十分に味わったので、これからは足ることを知り、淡白に暮らして天命に任せると述べた条です。「止足」は『老子』四十四章の「足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆うからず」に由来します。飲食は生に順い、衣服は体に適うものをという簡素な暮らしの心得は、『養生訓』の教えそのものです。得失や毀誉を天命に任せる心境は、人生の後半に限らず、比べることに疲れた今の人にも一つの指針になります。
この章句が説くこと
知足寡欲老い天命養生
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・我主張して天に由らず富貴福澤を得んと要するは、天主張して、我に由るを得ず。賢人君子と做らんと要するは、我主張して、天に由るを得ず。
-
孔子家語・五儀解哀公孔子に問いて曰く、「夫れ国家の存亡禍福は、信に天命有りて、唯だ人のみに非ざるか。」孔子対えて曰く、「存亡禍福は、皆己のみ。天災地妖は、加うる能わざるなり。」公曰く、「善いかな。吾子の言、豈に其の事有るか。」孔子曰く、「昔者殷王帝辛の世、雀の大鳥を城隅に生む有り。之を占いて曰く、『凡そ小を以て大を生ずれば、則ち国家必ず王として名必ず昌んならん』と。是に於て帝辛雀の徳を介として、国政を修めず、亢暴極まり無く、朝臣救うこと莫く、外寇乃ち至りて、殷国以て亡ぶ。此れ即ち己を以て天時に逆らい、福を詭りて反りて禍と為す者なり。又其の先世殷王太戊の時、道缺け法圮れ、以て夭櫱・桑穀朝に致し、七日にして大いに拱す。之を占う者曰く、『桑穀は野木にして朝に合生せず、意者国亡びんか』と。太戊恐駭し、身を側めて行を修め、先王の政を思い、養民の道を明らかにす。三年の後、遠方義を慕いて重訳して至る者、十有六国。此れ即ち己を以て天時に逆らい、禍を得て福と為す者なり。故に天災地妖は、人主を儆む所以の者なり。寤夢征怪は、人臣を儆む所以の者なり。災妖は善政に勝たず、寤夢は善行に勝たず。能く此を知る者は、至治の極なり。唯だ明王のみ此に達す。」公曰く、「寡人鄙固此くの如きに、亦た君子の教を聞くを得ざりしなり。」
-
孟子・梁惠王章句下魯の平公將に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ず。今、輿に乘り已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢て請う。」公曰く、「將に孟子を見んとす。」曰く、「何ぞや。君の為す所、身を輕んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。禮義は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君、見る無かれ。」公曰く、「諾。」樂正子、入り見えて曰く、「君、奚為れぞ孟軻を見ざるや。」曰く、「或ひと寡人に告げて曰く、『孟子の後喪は前喪を踰えたり。』是を以て往きて見ざるなり。」曰く、「何ぞや。君の所謂踰ゆとは。前には士を以てし、後には大夫を以てし、前には三鼎を以てし、後には五鼎を以てしたるか。」曰く、「否。棺槨衣衾の美を謂うなり。」曰く、「所謂踰ゆるには非ざるなり。貧富同じからざればなり。」樂正子、孟子に見えて曰く、「克、君に告ぐ。君、來たり見んと為す。嬖人に臧倉なる者有り、君を沮む。君是を以て來たることを果たさざるなり。」曰く、「行くも之を使しむる或り、止まるも之を尼むる或り。行止は人の能くする所に非ざるなり。吾の魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏の子、焉ぞ能く予をして遇わしめざらんや。」
-
尚書・康誥惟れ命は常には于いてせず。
-
論語・堯曰篇堯曰く、「咨、爾舜、天の暦数爾の躬に在り。允に其の中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終わらん。」舜も亦た以て禹に命ず。曰く、「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて昭らかに皇皇たる后帝に告ぐ。罪有るは敢えて赦さず。帝の臣は蔽わず、簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪有らば、万方を以てすること無かれ。万方罪有らば、罪は朕が躬に在り。」「周に大賚有り、善人是れ富む。」「周親有りと雖も、仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在り。」権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を脩むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民心を帰せん。重んずる所は、民・食・喪・祭。寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功有り、公なれば則ち説ぶ。
-
『呻吟語』内篇・應務・外寧なれば必ず內憂有り又た曰く、「終身畔を讓るも、一段を失はず」と。八に曰く、之を天に付す。天道知る有り、我を知る者は其れ天か。九に曰く、之を命に委ぬ。人生の相與するは、或いは順ひ或いは忤ひ、或いは合し或いは離る。魯の平公將に出でんとして臧倉に遇ひ、司馬牛は弟子と為りて桓魋有り。豈に命に非ずや。十に曰く、外寧なれば必ず內憂有り。小人侵陵すれば則ち患を懼れ危を防ぎ、長慮して卻顧し、敢へて侈然たらず。肆心有れば則ち百禍潛かに消ゆ。