慎思録 / 巻之六
吾人齡既衰殘。日薄虞淵。以道制欲。取樂於桑楡之工夫。一日不可廢。葢人生至樂。在讀書樂道。如此而終餘年。不亦善乎。若夫玩賞山水。愛玩月花。徜徉于園圃。而愛觀草木。吟詠古人之詩歌。而眺望四時之佳景。與朝夕之變態者。觸物遣興。聊以養性情而已。是學問之餘事。樂道之一端也。
新字:吾人齢既衰残。日薄虞淵。以道制欲。取楽於桑楡之工夫。一日不可廃。葢人生至楽。在読書楽道。如此而終余年。不亦善乎。若夫玩賞山水。愛玩月花。徜徉于園圃。而愛観草木。吟詠古人之詩歌。而眺望四時之佳景。与朝夕之変態者。触物遣興。聊以養性情而已。是学問之余事。楽道之一端也。
書き下し
吾人、齢既に衰残し、日虞淵に薄る。道を以て欲を制し、楽を桑楡に取るの工夫、一日も廃すべからず。蓋し人生の至楽は、読書楽道に在り。此くの如くして余年を終へば、亦善からずや。若し夫れ山水を玩賞し、月花を愛玩し、園圃に尚徉して、草木を愛観し、古人の詩歌を吟詠して、四時の佳景と朝夕の変態とを眺望する者は、物に触れて興を遣り、聊か以て性情を養ふのみ。是れ学問の余事、楽道の一端なり。
現代語訳
私はもう年老いて衰え、日は虞淵(日が沈む淵)に迫っています。道によって欲を抑え、晩年に楽しみを取る工夫は、一日も欠かしてはいけません。思うに人生の最上の楽しみは、書を読み道を楽しむことにあります。こうして残りの年を終えれば、よいことではありませんか。山水を賞で、月や花を愛し、庭や畑をぶらぶら歩いて草木を眺め、古人の詩歌を口ずさみ、四季のよい景色と朝夕の移り変わりを眺めるのは、物に触れて興を催し、いささか性情を養うためだけです。これは学問の余りごと、道を楽しむ一つの端です。
解説
老境に入った益軒が、残りの人生の最上の楽しみは読書と道を楽しむことにあり、自然を愛でるのはその一端だと述べた条です。「虞淵」は『淮南子』天文訓に出る日の沈むところ、「桑楡」は夕日が桑や楡の梢にかかる晩年の喩えです。「道を以て欲を制すれば則ち楽しみて乱れず」は『礼記』楽記の語です。益軒の『楽訓』はまさにこの楽しみを説いた書でした。老後を寂しいものではなく、学びと楽しみを深める時期と捉える姿勢が伝わります。
この章句が説くこと
楽しみ読書老い道楽訓
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