慎思録 / 巻之六
篤信甞作爲於鄙文百七十八編。命之曰自娛集。且輯錄於俚語十卷。號愼思錄。其爲書也。固拙陋不足言。而僭妄之罪。難免識者之誹笑。是啻欲備吾校覽也。且將傳諸後裔。而示予之自幼至老刻苦不怠而已。其中或有愚者千慮一得而自信者。昔者楊雄作法言曰後世有如楊子雲者。必好之矣。我此書恐訛謬。不能待後世之子雲耳。
新字:篤信甞作為於鄙文百七十八編。命之曰自娯集。且輯録於俚語十巻。号慎思録。其為書也。固拙陋不足言。而僭妄之罪。難免識者之誹笑。是啻欲備吾校覧也。且将伝諸後裔。而示予之自幼至老刻苦不怠而已。其中或有愚者千慮一得而自信者。昔者楊雄作法言曰後世有如楊子雲者。必好之矣。我此書恐訛謬。不能待後世之子雲耳。
書き下し
篤信嘗て鄙文百七十八編を作為し、之に命じて自娯集と曰ふ。且つ俚語十巻を輯録し、慎思録と号す。其の書為るや、固より拙陋にして言ふに足らず。而して僭妄の罪、識者の誹笑を免れ難し。是れ啻だ吾が校覧に備へんと欲するのみ。且つ将に諸を後裔に伝へて、予の幼より老に至るまで刻苦して怠らざるを示さんとするのみ。其の中或は愚者の千慮の一得にして自ら信ずる者有り。昔者楊雄法言を作りて曰く、後世楊子雲の如き者有らば、必ず之を好まんと。我が此の書は恐らくは訛謬あり、後世の子雲を待つこと能はざるのみ。
現代語訳
私篤信はかつて拙い文章百七十八編を作り、これを『自娯集』と名づけました。また俗な言葉を十巻に集めて記し、『慎思録』と名づけました。その書物はもとより拙く、言うに足りません。しかも分を越えた罪は、見識ある人の笑いを免れがたいでしょう。これはただ自分が読み返すのに備えようとしただけです。また子孫に伝えて、私が幼いころから老いるまで苦労して怠らなかったことを示そうとしただけです。その中には、愚かな者が千回考えて一つ得たような、自分で信じられるものもあります。昔、揚雄は『法言』を作って「後世に揚子雲のような者がいれば、必ずこれを好むだろう」と言いました。私のこの書にはおそらく誤りがあり、後世の子雲を待つことはできないでしょう。
解説
この章句が説くこと
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