幽夢影 / 巻上・紙上に兵を談ず
文人講武事,大都紙上談兵;武將論文章,半屬道聽途説。
新字:文人講武事,大都紙上談兵;武将論文章,半属道聴途説。
書き下し
文人の武事を講ずるは、大都紙上に兵を談ずるなり。武將の文章を論ずるは、半ば道聽途説に屬す。
現代語訳
文人が軍事を論じるのは、たいてい紙の上で兵法を語っているにすぎません。武将が文章を論じるのは、半分は聞きかじりの受け売りです。
解説
専門外のことを語るときの危うさを、文人と武将の両方から指摘した対句です。紙上談兵は、戦国時代の趙括が兵法の書には通じていたものの、実戦では大敗した故事から出た言葉で、机上の空論を指します。道聴途説は論語にある言葉で、道で聞いたことをそのまま道で話す、つまり自分で確かめない受け売りのことです。文人は戦場を知らず、武将は文章の修練を知らないので、どちらも自分の外の分野では浅くなりがちだというわけです。友人の呉街南は、いまは武将が武事を語っても紙上談兵で、文人が文章を論じても道聴途説だと、本業まで怪しいと嘆いています。自分の専門外のことを語るときこそ、慎重でありたいものです。
この章句が説くこと
謙虚学問実践机上処世
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