慎思録 / 巻之六
雖燕居獨坐。不可箕踞。雖無人之時。須如有人。不可跛倚側坐。赴飮食之約。亦須先期速至。不宜遲慢後期。而使主人望望然。拜神不可合掌。合掌。而三拜者。西域之人拜佛之禮也。中華之禮爲再拜。本朝之禮亦再拜。中華後世有四拜之禮。所以重再拜也。
新字:雖燕居独坐。不可箕踞。雖無人之時。須如有人。不可跛倚側坐。赴飲食之約。亦須先期速至。不宜遅慢後期。而使主人望望然。拝神不可合掌。合掌。而三拝者。西域之人拝仏之礼也。中華之礼為再拝。本朝之礼亦再拝。中華後世有四拝之礼。所以重再拝也。
書き下し
燕居独坐と雖も、箕踞すべからず。人無きの時と雖も、須らく人有るが如くすべし。跛倚側坐すべからず。飲食の約に赴くには、亦須らく期に先だちて速やかに至るべし。遅慢にして期に後れ、主人をして望望然たらしむるは宜しからず。神を拝するに合掌すべからず。合掌して三拝する者は、西域の人の仏を拝するの礼なり。中華の礼は再拝と為す。本朝の礼も亦再拝なり。中華の後世に四拝の礼有り。再拝を重ぬる所以なり。
現代語訳
くつろいで独り座っているときでも、足を投げ出して座ってはいけません。人がいないときでも、人がいるかのようにすべきです。片足に寄りかかったり斜めに座ったりしてはいけません。食事の約束に行くときも、定刻より前に速やかに着くべきです。遅れて時刻に後れ、主人を待ちわびさせるのはよくありません。神を拝むのに合掌してはいけません。合掌して三拝するのは、西域の人が仏を拝む礼です。中国の礼は再拝で、わが国の礼もまた再拝です。中国の後世には四拝の礼がありますが、これは再拝を重ねたものです。
解説
独りでいるときも人がいるように姿勢を正すこと、会食には早めに着くこと、神を拝むには合掌せず再拝することを説いた条です。「箕踞」「跛倚」を戒めるのは『礼記』曲礼上に基づきます。神仏習合が一般的だった時代に、神への礼と仏への礼を分けるべきだとするのは、儒者で神道にも関心を寄せた益軒らしい主張です。誰も見ていないときの姿勢にこそ、その人の慎みが表れます。『大学』『中庸』の慎独の教えを日常の立ち居振る舞いに落としたものです。
この章句が説くこと
礼慎独姿勢拝礼神道
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