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慎思録 / 巻之六

近世之俗儒。以好名立異爲心者。不知義利公私之辨。徒以不言利爲高。故疑於大學所謂國不以利爲利。以義爲利之言。以爲言利之事。非君子之言矣。不知利是養身養民。國家不可無之事。即是義之和也。故君子亦非不欲利。葢有義而利自來。則於義無害。只舍義而取利。爲利而行義者。不可也。苟以義爲主。則利亦義也。以利爲主。則義亦利也。在公私之間而已矣。葢利可施於人。而不可專於己。夫子罕言利。非不言利也。

新字:近世之俗儒。以好名立異為心者。不知義利公私之弁。徒以不言利為高。故疑於大学所謂国不以利為利。以義為利之言。以為言利之事。非君子之言矣。不知利是養身養民。国家不可無之事。即是義之和也。故君子亦非不欲利。葢有義而利自来。則於義無害。只舎義而取利。為利而行義者。不可也。苟以義為主。則利亦義也。以利為主。則義亦利也。在公私之間而已矣。葢利可施於人。而不可専於己。夫子罕言利。非不言利也。

書き下し

近世の俗儒、名を好み異を立つるを以て心と為す者は、義利公私の弁を知らず、徒に利を言はざるを以て高しと為す。故に大学の所謂国は利を以て利と為さず、義を以て利と為すの言を疑ひて、以て利を言ふの事にして、君子の言に非ずと為す。知らず、利は是れ身を養ひ民を養ひ、国家に無かるべからざるの事、即ち是れ義の和なることを。故に君子も亦利を欲せざるに非ず。蓋し義有りて利自ら来たれば、則ち義に於いて害無し。只義を舎てて利を取り、利の為に義を行ふ者は、不可なり。苟も義を以て主と為せば、則ち利も亦義なり。利を以て主と為せば、則ち義も亦利なり。公私の間に在るのみ。蓋し利は人に施すべくして、己に専らにすべからず。夫子罕に利を言ふは、利を言はざるに非ざるなり。

現代語訳

近ごろの俗な儒者で、名声を好み異説を立てることを心とする者は、義と利、公と私の区別を知らず、ただ利を口にしないことを高尚だと思っています。だから『大学』の「国は利を利とせず、義を利とする」という言葉を疑い、これは利を言うことであって君子の言葉ではないとします。彼らは知らないのです。利とは身を養い民を養うもので、国家になくてはならないものであり、それこそ「義の和」であることを。だから君子も利を望まないのではありません。思うに義があって利がおのずから来るなら、義に害はありません。ただ義を捨てて利を取り、利のために義を行うのはいけません。もし義を主とすれば、利もまた義です。利を主とすれば、義もまた利です。公か私かの違いにすぎません。思うに利は人に施すべきもので、自分だけのものにしてはいけません。孔子が利をまれにしか言わなかったのは、利を言わなかったのではありません。

解説

利を口にしないことを高尚とする儒者を批判し、利は身と民を養う国家に必要なもので、義を主とすれば利もまた義だと説く条です。『大学』伝十章、『易経』乾卦文言伝の「利は義の和なり」、『論語』子罕篇の「子罕に利を言ふ」を踏まえています。益軒は経済や生業を重んじ、商人の子弟にも教えを説きました。石田梅岩や渋沢栄一の義利合一にも通じる考えです。利益を上げることは悪ではなく、何を主とし、誰のための利かが問われます。

この章句が説くこと

公私大学経済

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