囲炉夜話 / 第百九十三則・義の中に利有り
義之中有利,而尚義之君子,初非計及於利也。 利之中有害,而趨利之小人,並不顧其為害也。
書き下し
義の中に利有り、而して義を尚ぶの君子は、初めより利に計り及ぶに非ざるなり。 利の中に害有り、而して利に趨るの小人は、並びに其の害為るを顧みざるなり。
現代語訳
義の中には利がありますが、義を尊ぶ君子は、はじめから利を計算しているわけではありません。利の中には害がありますが、利に走る小人は、それが害であることをまったく顧みません。
解説
義と利と害の関係を、君子と小人の対比で示す句です。上の句は、義を貫けば結果として利益もついてくることを認めます。しかし君子は、その利を目当てに義を行うのではないと言います。計算ずくの義は、もう義ではなくなるからです。下の句は、利の中には害が潜んでいるのに、小人は目先の利に飛びつき、その害を見ないと言います。義から利へ、利から害へと、言葉が鎖のようにつながる構成が見事です。倫理を守ることが長い目では得になると言われる今の経営論にも通じますが、この句はさらに、利を目当てにするなと釘を刺しています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
義利害君子処世
関連する章句
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『弁名』義易の大伝に曰く、「何を以て民を聚めん、曰く財。財を理め辞を正し、民の非を為すを禁ずる、曰く義」と。論語に曰く、「利を見ては義を思ふ」と。又曰く、「君子は義に喩り、小人は利に喩る」と。是れ民は生を営むを以て務と為す。故に財利を以て心と為すは、民の業為ればなり。君子は先王の道を学び、仕へて以て天職を共にす。故に義を以て其の道と為すなり。「財を理め辞を正し、民の非を為すを禁ず」とは、亦た略〻仕ふる者の務むる所の官守の事を挙げて之を言ふ。財を理むる者は、家宰・司徒・司空の事なり。辞を正す者は、宗伯の事なり。民の非を為すを禁ずる者は、司馬・司寇の事なり。
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『五常訓』巻之四・義張南軒、義と利とを説いて曰、義は為にする処なくして為るなり。利は為にする所有りて之を為すなり。いふ意は、義は唯我がすべき道なればするなり。名聞利養か何ぞ、わが身の為にするにはあらず。もし名聞利禄私愛のためにするは、義にあらず。是利なり。董子の言まことに至れるかな。張南軒の説も、亦道理分明なり。共に諸子にすぐれたり。君子の道は、万事の行皆義理に志して、我が身のために計らず。是君子の心とする処、小人のことなる処なり。たとひ天下に公なる善事を行ふとも、心にわが為にする私あらば、是義に非ず、利なり。小人の身に善行なくして、心ひとへに利をむさぼりて、義をすつるは、言ふに足らず。たとひ人ありて、身に行ふこと善なれど、其心に露ほども、わが利を計りねがふ所ありて行はば、郷里のほまれある人といへども、義にあらず。
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『五常訓』巻之四・義一見利思義。利は一切の我が身の便よき事なり。財禄にかぎらず。財禄を得るも、亦其中にあり。わが身のため便よく、或はたからを得、禄を得る事ありとも、得べきか得べからざるか、唯義のある処を思ふべし。利をむさぼりて、義を忘るべからず。義と利とは、善と悪と、君子と小人とのわかるる処なり。義とは天理の公なり。利は人欲の私なり。専わが身の為よきやうにするは利なり。我が身を利せんとすれば、必人に害あり。是悪なり。人に害あれば、必我が禍となる。人を利するは、是義なり。義あれば、道理と和する故、利を求めずして、自ら利は其内にあり。されども利を得んため義を行ふは、私意なり。君子のする所にあらず。
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『五常訓』巻之五・智一天命を知るとは、人の吉凶禍福死生は、皆定まれる天命あり。生れつきたる分限あり。分外のさいはひを、人にへつらひ求めても、神にへつらひ祈りても、必得べからざる事を知るを云ふ。然るに、小人は天命を知らず。わざはひあれば、手立を以てのがれんとし、利をねがひては、人にへつらひて、富貴福禄を得んとす。ここを以て、義理をすて、利欲にしたがひて恥ぢず。又いのるまじき理を知らで、神にへつらひて、福を求め、禍をのがれんとす。君子は義理をたつとんで、天命を知る故に、義にそむける事は、大なる利を得るといへど行はず。害ありといへども避けず。天命の求むべからざるを知りて、義に害なしといへども求めず。しかるに、若みだりに利を求め、害をのがれんとして、其益なきことをせば、天命を知らずして、愚なりと云ふべし。何ぞ君子とすべけんや。
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『慎思録』巻之三凡そ君子と小人との由りて分かるる所は、固より義を好むと利を好むとの間に在り。且つ衣服器物と雑芸との好悪する所に至りても、亦各同じからざる有り。小人の好む所は、毎に淫靡と鄙俗とに在り。君子の好む所は、毎に質良と典雅とに在り。其の好悪する所を観て、亦君子小人の分見はる。好悪慎まざるべけんや。古は天子巡守して、詩を陳ねて以て民風を観、賈を納れて以て民の好悪する所を観る。志淫なれば好辟なり、と。亦此の意なり。欧陽子曰く、其の好む所を視て、以て其の人を知るべし、と。
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『五常訓』巻之四・義一義は天理の公なり。利は人欲の私なり。二の者は、各別の事にて、雪と墨との如し。然れども、義を専らにして、わが身に私せず、人のため宜しくすれば、利を求めざれども、自ら我が為よからずと云ふ事なし。故に易にも、利者義之和也と云ふ。大学に、国は利を以て利とせず、義を以て利とすといへり。利欲を恣にして、我が身ひとつを利せんとすれば、必人に害ありて、我が身の禍となる。古語にも福は禍のかくるる所といへり。愚者は、此理にくらくして、唯われ一人の為よからん事を計れども、是即わが身の害となる。眼前の利をはかりて、後来のわざはひを知らず。