都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段
曰、夫ニテハ汝ノ爲ニ損ナルガ、損ノ往ヲ喜ビ、是ヲ義ト云ハ如何、答、否、損ニアラズ、大ニ利アリ、曰、忽ニ損ノ見ヘタルヲ、利ト云ハ、如何ナルコトゾ、答、孟子モ、君子舍生而取義者ナリトノ玉フ、君子ハ命ヲステ義ヲ取ル、木綿ハ輕キコトナリ、假令一國ヲ得、萬金ヲ得ルトモ、道ニタガハヾ、何ゾ不義ヲ行ハン、外物ノ損ヲ爲、心ヲ養テ利ヲ得、此外ニ勝ルコト何カ有ラン、
新字:曰、夫ニテハ汝ノ為ニ損ナルガ、損ノ往ヲ喜ビ、是ヲ義ト云ハ如何、答、否、損ニアラズ、大ニ利アリ、曰、忽ニ損ノ見ヘタルヲ、利ト云ハ、如何ナルコトゾ、答、孟子モ、君子舎生而取義者ナリトノ玉フ、君子ハ命ヲステ義ヲ取ル、木綿ハ軽キコトナリ、仮令一国ヲ得、万金ヲ得ルトモ、道ニタガハヾ、何ゾ不義ヲ行ハン、外物ノ損ヲ為、心ヲ養テ利ヲ得、此外ニ勝ルコト何カ有ラン、
書き下し
曰く、夫にては汝の為に損なるが、損の往くを喜び、是を義と云ふは如何。答ふ、否、損にあらず、大いに利あり。曰く、忽ちに損の見えたるを、利と云ふは、如何なることぞ。答ふ、孟子も、君子は生を舎てて義を取る者なりとのたまふ。君子は命をすて義を取る。木綿は軽きことなり。仮令一国を得、万金を得るとも、道にたがはば、何ぞ不義を行はん。外物の損を為し、心を養ひて利を得。此の外に勝ること何か有らん。
現代語訳
学者は言いました。「それではあなたの損になる。損をするのを喜び、それを義と呼ぶのはどういうことですか。」梅岩は答えました。「いいえ、損ではありません。大きな利があります。」「目の前に損が見えているのを、利と言うのはどういうことですか。」「孟子も、君子は命を捨てて義を取る者だと言っています。君子は命さえ捨てて義を取るのです。木綿など軽いことです。たとえ一国を得、万金を得るとしても、道に背くのなら、どうして不義を行うでしょう。外の物では損をしても、心を養って利を得る。これにまさることがあるでしょうか。」
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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司馬法・仁本義を争いて利を争わず、是を以てその義を明らかにするなり。
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『囲炉夜話』第百九十三則・義の中に利有り義の中に利有り、而して義を尚ぶの君子は、初めより利に計り及ぶに非ざるなり。 利の中に害有り、而して利に趨るの小人は、並びに其の害為るを顧みざるなり。
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『五常訓』巻之四・義此所は、君子の心術の上にてくはしき論なり。小人の上の沙汰にはあらず。たとへば潔白なる物に、一点の墨を附くれば、白と云ひがたきが如し。天理人欲、行を同じくして情を異にすと、胡五峯いへり。天理は義なり。人欲は利なり。義も利も、身の行は善なれば、同じ事なれど、心底に公と私とのかはりあり。是同行異情なり。是亦義利の分ちなり。又王覇の弁もここにあり。いにしへの聖人、仁義を行ひて、民をなつけ給へば、国天下の民、自らよろこんで、まことに帰服す。是誠の道を以て、民ををさむる也。是を王道と云ふ。堯舜、禹湯、文武などの行ひ給ひし道是なり。又仁義の徳はなけれど、仁義の名をかりて、善を行ひ、民を服し、乱をしづめて、国天下を得んと思ふ。
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『五常訓』巻之四・義斯あらんよりは、義を行ひて、死して栄名を世にのこさんこそ、亡きあとまでの面目ならめ。見得思義とは、財と禄とを得るに、みだりに利をむさぼりて、得まじき物をとるは、義にあらず。此物、わが得べき義か、得べからざる義かと、みづから思案して、義にあたらば得べし。義に害あらば得べからず。もし得べからざる義ならば、万鍾の禄は云ふに及ばず、一介といへども人に取るべからず。もし取るべき義にあらば、舜の、堯の天下を得たまふも、不義なりとすべからず。得べからざる義にあたりても、わが得る方に心ひかれて、得ても義に害なしと思ふは、私欲にひかれて、是非の心迷ひくらきなり。
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『慎思録』巻之六近世の俗儒、名を好み異を立つるを以て心と為す者は、義利公私の弁を知らず、徒に利を言はざるを以て高しと為す。故に大学の所謂国は利を以て利と為さず、義を以て利と為すの言を疑ひて、以て利を言ふの事にして、君子の言に非ずと為す。知らず、利は是れ身を養ひ民を養ひ、国家に無かるべからざるの事、即ち是れ義の和なることを。故に君子も亦利を欲せざるに非ず。蓋し義有りて利自ら来たれば、則ち義に於いて害無し。只義を舎てて利を取り、利の為に義を行ふ者は、不可なり。苟も義を以て主と為せば、則ち利も亦義なり。利を以て主と為せば、則ち義も亦利なり。公私の間に在るのみ。蓋し利は人に施すべくして、己に専らにすべからず。夫子罕に利を言ふは、利を言はざるに非ざるなり。
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『大和俗訓』巻之六・躬行上義にあらず。凡義とは、為すべき事をなして、わが身の利の為にする私なきを云ふ。されども、義理にかなへば人よろこびしたがひ、事ととのひ行はるる故、利は求めずして自ら来る。自ら来る利は、義に害なし。利を求むるは、義に害あり。たとへば天下に聞ゆるほどの善を行ひても、身のためにするに志あるは、利なり。義にあらず。義と利とをわかつこと、第一つとむべき心術なり。