慎思録 / 巻之六
山水風月之閑淡芳草嘉木之生意。是君子之所愛觀也。對之則開濶其心胸。淸和其情性。可以感興於道心。蕩滌鄙吝。是觸發于天機之益也。學者學文力行。而有餘力。則可消搖遊觀。庶乎有進益。若逢良辰美景。則不可空放過。
新字:山水風月之閑淡芳草嘉木之生意。是君子之所愛観也。対之則開濶其心胸。清和其情性。可以感興於道心。蕩滌鄙吝。是触発于天機之益也。学者学文力行。而有余力。則可消揺遊観。庶乎有進益。若逢良辰美景。則不可空放過。
書き下し
山水風月の閑淡、芳草嘉木の生意は、是れ君子の愛観する所なり。之に対すれば則ち其の心胸を開濶にし、其の情性を清和にす。以て道心を感興し、鄙吝を蕩滌すべし。是れ天機に触発するの益なり。学者は文を学び力行して、余力有らば、則ち逍遥遊観すべし。進益有るに庶からん。若し良辰美景に逢はば、則ち空しく放過すべからず。
現代語訳
山や水、風や月の静かで淡いさま、香る草や美しい木の生き生きとした生命は、君子の愛し眺めるものです。これに向き合えば心を広く開き、情や性を清らかで和やかにします。道心を感じ興させ、卑しくけちな心を洗い流すことができます。これが天の働きに触れて心が発する益です。学ぶ者は文を学び力行して、余力があれば、のびのびと遊び眺めるべきです。そうすれば進歩があるでしょう。もしよい時節と美しい景色に出会ったら、むなしく見過ごしてはいけません。
解説
自然の風物に親しむことが心を開き、卑しい心を洗い流し、道心を呼び起こすと説いた条です。「余力有らば則ち以て文を学ぶ」は『論語』学而篇の語を踏まえています。「生意」は程明道が庭の草を刈らずに生意を観たという逸話で知られる、万物の生命の働きです。益軒は『楽訓』で、自然を楽しむことを最上の楽しみの一つとしました。勉強や仕事の合間に、散歩して季節の花や空を眺めることは、決して時間の無駄ではありません。
この章句が説くこと
自然楽しみ道心生意楽訓
関連する章句
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『慎思録』巻之四山水風月の閑淡、芳草嘉木の生意は、是れ君子の愛観する所なり。之に対すれば、則ち其の心胸を開豁し、其の情性を清和し、以て道心を感興し、鄙吝を蕩尽すべし。是れ天機を触発するの益有り。故に講学して余力有らば、則ち逍遥遊観すべし。若し良辰美景に逢はば、則ち空しく放過すべからず。孔子は東山に登り泰山に登り、亦た川上の嘆有り。周濂溪は雅に意を林壑に縦にし、平生の志、終に丘壑に在り。明道は泰山の勝を慕ひて、遊山の詩有り。再び周茂叔に見えて、風に吟じ月を弄して帰る。朱子は毎に経行する処、佳山水有るを聞けば、迂途と雖も必ず往きて遊ぶ。皆是れ聖賢の玩賞する所にして、仁知の喜楽する所なり。若し夫れ喧鬧繁華の境を愛する者は、是れ俗人の楽しむ所なり。紅白の花開き、濃艶芬郁の地の如きは、固より愛賞すべし。歌吹雑戯の場とは同じからずと雖も、然れども青山流水の閑淡にして、味最も多きに如かざるのみ。
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『慎思録』巻之一天道の流行、運りて息まざる者は、何を以てか之を見ん。日月の往来、四時の推移、雨露の施滋、川流れて竭きず、草木の発生暢茂、是れ皆以て天地の化を見るべし。静かに観れば則ち万物皆生意有り。疇か其の妙を知らんや。之を知る者は乃ち道を知るなり。
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『慎思録』巻之二古の君子は多く江山林泉の勝を慕ひて、富貴の崇高を忘る。夫れ山林と爵禄とは、同じく是れ外物なり。之を慕ふ者に、鄙と達との異有り。其の故は何ぞや。蓋し富貴は之を得るに、義有り命有り。而して其の楽しみや浅し。妄りに得んと欲する者を鄙と為し、且つ命を知らずと為すなり。山林の勝、風月の楽しみの如きは、之を取るに禁無く、之を好む者を主と為す。慕ふ者は貪るに非ずして、之を得る者を以て清福と為す。其の楽しみや深し。此れ君子の之を愛慕する所以なり。
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『慎思録』巻之一人の心に、本然の楽しみ有れば、則ち目の睹る所、耳の聴く所、身の触るる所、風花雪月四時の佳興、山川の好景、鳥獣の和鳴、草木の栄華、凡そ天地の間に満つる者は、皆以て吾が本然の楽しみを資くるに足る。是を以て天下の物を挙げて、皆以て吾が心を悦ばしめ吾が身を養ふの具と為すべし。其の富饒なるや、終身用ひ尽くすべからず。惟外物の美を藉りて以て吾が楽しみと為すに非ず。外物の美来たり触れて、吾が本然の楽しみを資くるのみ。苟も本然の楽しみ無ければ、則ち外物の我が身に奉じ我が欲を誘ふ者は、適に以て吾が心を累はし吾が身を傷ふの具と為すに足るのみ。何ぞ以て楽しみと為すに足らんや。
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『慎思録』巻之六学者と事を論ずるの際、切に軽易に其の人の未だ至らざる所に説き及ぶべからず。此れ与に言ふべからずして之と言ふ、言を失ふなり。風に吟じ月を弄び、山水に遊観し、花卉を愛賞する者は、其の物に対すと雖も、貪り得るの心無し。是れ風雅の事にして、閑散の士の楽しむ所なり。財色を貪り酒食に耽るが如きは、是れ其の物に対して、貪りて之を得んと欲す。是れ嗜欲の事にして、衆人の楽しむ所なり。
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『慎思録』巻之三富貴栄達の人は、佚遊燕楽を以て娯しみと為し、月花山水幽寂の楽しみ、意味尤も深長なるを知らず。唯貧窮不遇の人のみ、斯の楽しみを享くるを得。然れども斯の楽しみを知りて、之を享くる者も、亦少し。况んや道徳の至楽を知る者をや。