慎思録 / 巻之六
與學者論事之際。切不可輕易說及其人所未至。此不可與言而與言之。失言也。吟風弄月。遊觀山水。愛賞花卉者。雖對其物。無貪得之心。是風雅之事。閑散之士所樂也。如貪財色耽酒食。是對其物。貪而欲得之。是嗜欲之事。衆人之所樂也。
新字:与学者論事之際。切不可軽易説及其人所未至。此不可与言而与言之。失言也。吟風弄月。遊観山水。愛賞花卉者。雖対其物。無貪得之心。是風雅之事。閑散之士所楽也。如貪財色耽酒食。是対其物。貪而欲得之。是嗜欲之事。衆人之所楽也。
書き下し
学者と事を論ずるの際、切に軽易に其の人の未だ至らざる所に説き及ぶべからず。此れ与に言ふべからずして之と言ふ、言を失ふなり。風に吟じ月を弄び、山水に遊観し、花卉を愛賞する者は、其の物に対すと雖も、貪り得るの心無し。是れ風雅の事にして、閑散の士の楽しむ所なり。財色を貪り酒食に耽るが如きは、是れ其の物に対して、貪りて之を得んと欲す。是れ嗜欲の事にして、衆人の楽しむ所なり。
現代語訳
学ぶ人と物事を論じるとき、決して軽々しくその人がまだ達していないところまで説き及んではいけません。これは「ともに語るべきでない相手と語る」ことで、言葉を無駄にすることです。風に吟じ月を愛で、山水に遊び眺め、草花を愛で賞する人は、その物に向き合っても、貪って手に入れようとする心がありません。これは風雅なことで、閑かに暮らす人の楽しみです。財や色を貪り、酒食に耽るのは、その物に向き合って、貪って手に入れようとするものです。これは嗜欲のことで、一般の人の楽しみです。
解説
前半は相手の段階を越えて説かないこと、後半は風雅の楽しみと嗜欲の楽しみの違いを述べた二つの条がつながった単位です。前半は『論語』衛霊公篇の「与に言ふべからずして之と言ふは言を失ふ」に基づきます。後半の要点は、所有しようとするかどうかで楽しみの質が分かれるという点です。益軒は『楽訓』で、月花山水を眺める楽しみは費えがなく誰にも奪われないと説きました。手に入れなくても味わえる楽しみを多く持つ人は、心が安らかです。
この章句が説くこと
楽しみ風雅欲教え楽訓
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