慎思録 / 巻之六
少壯之輩不學。且歷世不久。而無知識。是以循薄俗流澆漓。而不尙義理。且不顧利害。故以老成人所言。爲迂濶而不合于今世。以爲昏耄無所知。是愚昧之言。因無師保之敎也。
新字:少壮之輩不学。且歴世不久。而無知識。是以循薄俗流澆漓。而不尚義理。且不顧利害。故以老成人所言。為迂濶而不合于今世。以為昏耄無所知。是愚昧之言。因無師保之教也。
書き下し
少壮の輩は学ばず、且つ世を歴ること久しからずして、知識無し。是を以て薄俗に循ひ澆漓に流れて、義理を尚ばず、且つ利害を顧みず。故に老成の人の言ふ所を以て、迂濶にして今世に合はずと為し、以て昏耄にして知る所無しと為す。是れ愚昧の言にして、師保の教へ無きに因るなり。
現代語訳
若い者たちは学ばず、世を経た期間も長くないので、知識がありません。それで軽薄な風俗に従い、人情の薄い流れに流されて、道理を尊ばず、利害も顧みません。だから経験を積んだ人の言うことを、回りくどくて今の世に合わないと思い、老いぼれて何も分かっていないと思います。これは愚かな言葉であり、師や守り役の教えがないからです。
解説
学ばず経験も浅い若者が、年長者の言葉を時代遅れだと退けることを戒めた条です。「老成の人」は『書経』盤庚篇に出る、経験を積んだ人の意です。本巻には若者に老成の人への相談を勧める条もあり、八十代の益軒の実感がこもっています。ただし益軒は若者そのものではなく、教える者がいないことに原因を求めています。年長者の言葉がすべて正しいわけではありませんが、古く見える助言にも、長い経験から得た知恵が含まれていることがあります。
この章句が説くこと
老成若さ教え経験謙虚
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集醒・山嶽に登る者にして崎嶇を知る江湖を涉る者にして、然る後に波濤の洶湧を知る。 山嶽に登る者にして、然る後に蹊徑の崎嶇を知る。
-
『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、「鬼神なる者は、固より有ること無し」と。旦暮に以て天下に教誨を為し、天下の衆を之れ疑わしめ、天下の衆をして皆な鬼神の有無の别に疑惑せしむ。是を以て天下亂る。是の故に子墨子曰く、今、天下の王公大人・士君子、實に将に天下の利を興し、天下の害を除かんことを求め欲せば、故に當に鬼神の有ると無きとの别、以て将に此を眀察せざる可からざる者と為すべきなり。既に鬼神の有無の别を以て察せざる可からずと為し已わる。然らば則ち吾れ此を眀察するを為すに、其の説、将に奈何にして可ならんとするや。子墨子曰く、是れ天下の以て有ると無きとを察知する所の道なる者と、必ず衆の耳目の實を以て有無を知るを儀と為す者なり。請に之を聞き之を見るに惑わば、則ち必ず以て無しと為さん。是くの若くんば何ぞ嘗みに一鄉一里に入りて之を問わざる。古より以て今に及ぶまで、生民より以來の者、亦た嘗て鬼神の物を見、鬼神の聲を聞くこと有らば、則ち鬼神、無しと謂う可けんや。若し聞く莫く見る莫くんば、則ち鬼神、有りと謂う可けんや。
-
論語・為政篇子曰く、「故きを温めて新しきを知らば、以て師と為るべし。」
-
尚書・秦誓猷ほ兹の黃髪に詢わば、則ち愆つ所罔からん。
-
『呻吟語』内篇・談道・多言の後人を誤るや耳に聞く底、眼に見る底、身に觸れ頭に戴き足に踏む底は、燦然確然として、無非都て是れ這個なり。一端を拈び起こし來たれば、色色都て是れ這個なり。卻って古人の千言萬語、陳爛の葛藤に向かひて鑽研窮究し、意亂れ神昏くして了に得可からず。則ち多言の後人を誤るや噫。
-
『酔古堂剣掃』集法・必ず是れ虧を吃し過ぎたる者世問に會く便宜を討むる人は、必ず是れ虧を吃し過ぎたる者なり。