慎思録 / 巻之六
天垂異地吐妖人病疫。此三者。苟有一於此。長國家之人。所當小心而畏愼天之威也。故畏天威者。此所以保其國家也。王荊公以爲天變不足畏者。不敬之甚也。此一言而可以喪邦也。
新字:天垂異地吐妖人病疫。此三者。苟有一於此。長国家之人。所当小心而畏慎天之威也。故畏天威者。此所以保其国家也。王荊公以為天変不足畏者。不敬之甚也。此一言而可以喪邦也。
書き下し
天、異を垂れ、地、妖を吐き、人、病疫す。此の三者、苟も此に一有らば、国家に長たるの人、当に小心にして天の威を畏れ慎むべき所なり。故に天威を畏るる者は、此れ其の国家を保つ所以なり。王荊公の以て天変畏るるに足らずと為す者は、不敬の甚だしきなり。此の一言にして以て邦を喪ふべきなり。
現代語訳
天が異変を示し、地が怪異を吐き出し、人が疫病にかかる。この三つのうち一つでもあれば、国家の長たる人は、用心深く天の威を畏れ慎むべきです。だから天の威を畏れる者は、それによって国家を保つのです。王荊公(王安石)が「天変は畏れるに足りない」としたのは、不敬の甚だしいものです。この一言で国を失うことにもなりかねません。
解説
天変地異や疫病を為政者への戒めとして畏れ慎むべきで、それを侮ることは国を失う道だと説く条です。王安石が新法を進める際に「天変畏るるに足らず」と言ったとされる言葉は、反対派が「三不足」として批判したもので、『宋史』などに伝わります。「一言にして邦を喪ふ」は『論語』子路篇の語です。災害や異変を単なる自然現象と片付けず、自らを省みる機会とする姿勢は、危機に向き合う指導者の謙虚さとして今も意味があります。
この章句が説くこと
敬天畏れ政治王安石
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