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慎思録 / 巻之六

古人曰。士大夫可爲眞丈夫。不可爲僞道學。葢僞道學。是好名之甚者也。其言似以道自任。其行似淸修苦節。以足欺一世矣。然微之顯。誠之不可掩。久而後自著矣。然則何益矣。

新字:古人曰。士大夫可為真丈夫。不可為偽道学。葢偽道学。是好名之甚者也。其言似以道自任。其行似清修苦節。以足欺一世矣。然微之顕。誠之不可掩。久而後自著矣。然則何益矣。

書き下し

古人曰く、士大夫は真丈夫と為るべし、偽道学と為るべからずと。蓋し偽道学は、是れ名を好むの甚だしき者なり。其の言は道を以て自ら任ずるに似、其の行ひは清修苦節に似て、以て一世を欺くに足る。然れども微の顕るる、誠の掩ふべからざる、久しくして後に自ら著る。然らば則ち何の益かあらん。

現代語訳

古人は「士大夫は真の丈夫となるべきで、偽りの道学者となってはならない」と言いました。思うに偽の道学者は、名声を好むことの甚だしい者です。その言葉は道を自分の任務とするかのようで、その行いは清らかに身を修め苦しい節を守るかのようで、世の中を欺くのに十分です。しかし『中庸』にいう「微かなものほど顕れ、誠は隠しおおせない」の通り、時がたてばおのずと明らかになります。そうだとすれば何の益があるでしょうか。

解説

道徳を口にしながら実は名声を求める「偽道学」を戒めた条です。明代には道学者の偽善を批判する風潮があり、「真丈夫と為るべし、偽道学と為るべからず」も明人の言葉として知られます。「微の顕、誠の掩ふべからざる」は『中庸』第十六章の語です。立派なことを言う人ほど、言行の一致が問われます。理念を語る経営者や、正論で人を裁く人は、いずれ行いで評価されます。見せるための正しさではなく、誰も見ていないところでの誠が大切です。

この章句が説くこと

偽善名声言行中庸

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