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弁名 / 恭敬莊愼獨

敬者。謂有所尊崇而不敢忽也。如敬天。敬鬼神。敬君。敬上。敬父母。敬兄。敬賓客。皆以有所敬言之。仁齋先生駁宋儒持敬者是矣。祇歷觀六經其言敬者居多矣。如祇肅齊莊寅恭欽畏。其言雖殊。皆敬也。究其所以然之故。蓋先王之道。以敬天爲本。奉天道以行之。人之奉先王之道。將以供天職也。人唯以天爲本。以父母爲本。先王之道。祭祖考配諸天。是合天與父母而一之。是謂一本。君者先王之嗣也。代天者也。故敬之。民者天之所以命我使治之者也。故敬之。身者親之枝也。故敬之。是先王之道所以敬天爲本故也。

新字:敬者。謂有所尊崇而不敢忽也。如敬天。敬鬼神。敬君。敬上。敬父母。敬兄。敬賓客。皆以有所敬言之。仁斎先生駁宋儒持敬者是矣。祇歴観六経其言敬者居多矣。如祇粛斉荘寅恭欽畏。其言雖殊。皆敬也。究其所以然之故。蓋先王之道。以敬天為本。奉天道以行之。人之奉先王之道。将以供天職也。人唯以天為本。以父母為本。先王之道。祭祖考配諸天。是合天与父母而一之。是謂一本。君者先王之嗣也。代天者也。故敬之。民者天之所以命我使治之者也。故敬之。身者親之枝也。故敬之。是先王之道所以敬天為本故也。

書き下し

敬は、尊崇する所有りて敢へて忽せにせざるを謂ふなり。天を敬し、鬼神を敬し、君を敬し、上を敬し、父母を敬し、兄を敬し、賓客を敬するが如き、皆敬する所有るを以て之を言ふ。仁斎先生の宋儒の持敬を駁する者は是なり。祇だ歴く六経を観るに、其の敬を言ふ者多きに居る。祇・粛・斉・荘・寅・恭・欽・畏の如き、其の言殊なりと雖も、皆敬なり。其の然る所以の故を究むるに、蓋し先王の道は、天を敬するを以て本と為し、天道を奉じて以て之を行ふ。人の先王の道を奉ずるは、将に以て天職に供せんとするなり。人は唯だ天を以て本と為し、父母を以て本と為す。先王の道は、祖考を祭りて諸を天に配す。是れ天と父母とを合して之を一にす。是れを一本と謂ふ。君は先王の嗣なり、天に代はる者なり、故に之を敬す。民は天の我に命じて之を治めしむる所以の者なり、故に之を敬す。身は親の枝なり、故に之を敬す。是れ先王の道の天を敬するを本と為す所以の故なり。

現代語訳

敬とは、尊び崇めるものがあって、おろそかにしないことをいう。天を敬う、鬼神を敬う、君を敬う、目上を敬う、父母を敬う、兄を敬う、客を敬う、というように、みな敬う対象があることについて言う。仁斎先生が宋儒の「持敬(敬を心に保つ)」を退けたのは正しい。ただ六経を広く見わたすと、敬を言うところは非常に多い。祇・粛・斉・荘・寅・恭・欽・畏などは、言葉こそ違うが、みな敬である。そうなる理由を突きつめると、先王の道は天を敬うことを根本とし、天道を奉じて行うものだからである。人が先王の道を奉じるのは、天から授かった職分を果たすためである。人はただ天を根本とし、父母を根本とする。先王の道では祖先を祭って天に配する。これは天と父母を合わせて一つにすることで、これを「一本」という。君は先王の後継ぎであり、天に代わる者であるから敬う。民は天が私に命じて治めさせるものであるから敬う。わが身は親の枝であるから敬う。これが、先王の道が天を敬うことを根本とする理由である。

解説

敬とは、尊ぶ対象があってそれを疎かにしないことであり、何かに向かう心である。徂徠は、仁斎が宋儒の「持敬」を批判したのは正しいとしつつ、六経に敬の語が多い理由まで踏み込む。先王の道は天を敬うことを根本とし、君も民も自分の身も、天や親につながるからこそ敬うのだという。民を治める者が民を敬うという発想は重要である。顧客や部下を「預かりもの」と見るとき、扱いは自然と丁寧になる。敬意は心の修養からではなく、何に責任を負っているかの自覚から生まれるのである。

この章句が説くこと

敬天先王天職一本弁名

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