言志四録 / 言志耋録 第二百四十九条 敬すべきは天、怕るべきは人
雷霆地震。人皆驚。而未至於大驚。但大熕一響。出於不意。則不免喫驚。以其出於人爲也。是知可敬者天。可怕者人。
新字:雷霆地震。人皆驚。而未至於大驚。但大熕一響。出於不意。則不免喫驚。以其出於人為也。是知可敬者天。可怕者人。
書き下し
雷霆・地震には、人皆驚けども、未だ大いに驚くに至らず。但だ大熕の一響、不意に出づれば、則ち喫驚を免れず。其の人為に出づるを以てなり。是に知る、敬すべき者は天、怕るべき者は人なることを。
現代語訳
雷や地震には、人はみな驚くが、それほど大きくは驚かない。ところが大砲の一発の轟きが不意に起これば、びっくり仰天せずにはいられない。それは人の仕業から出たものだからである。このことから、敬うべきものは天であり、恐れるべきものは人であることがわかる。
解説
雷や地震と、大砲の音との驚き方の違いから、天と人の違いを考えた一条です。「大熕」は大砲のことです。雷や地震は恐ろしいものですが、人はどこかで天のなすこととして受け止め、腰を抜かすほどには驚かない。ところが不意に大砲が鳴れば、心底驚く。それは人の意図が込められた音だからだと一斎は言います。天の力には筋道があり敬うべきもので、人の作為には予測できない害意がありうるので恐れるべきだ、という区別です。前の数条で西洋の大砲や蒸気船に触れた流れの中にあり、幕末の緊張がにじんでいます。組織にとって本当に警戒すべきリスクは、自然の変動よりも人の意図の中にあるのではないかと考えさせます。
この章句が説くこと
天人為畏れ敬危機
関連する章句
-
『慎思録』巻之六盧子諒曰く、福は禍の始め為り、禍は福の階為りと。蓋し倚伏の理は、知者の予め知る所にして、愚者の畏れざる所なり。或ひと曰く、天子は天地を祭る。諸侯と雖も之を祭ることを得ず。僭踰を畏るればなり。然らば則ち衆人の如きは、唯だ君父に事ふれば足れり。古人天に事ふと言ふは、恐らくは僭越に似たり、奈何と。諸侯以下天地を祭るは、則ち非なり。天地に事ふるは、天地を祭祀すると同じからず。其の威を畏敬して侮らず、其の道を奉若して背かず、人物を愛育して暴せず、其の恩を仰ぎ思ひて忘れざるが如き、是れ天に事ふるの道なり。賤民と雖も、亦終身之に事ふべき所以なり。
-
『慎思録』巻之六天、異を垂れ、地、妖を吐き、人、病疫す。此の三者、苟も此に一有らば、国家に長たるの人、当に小心にして天の威を畏れ慎むべき所なり。故に天威を畏るる者は、此れ其の国家を保つ所以なり。王荊公の以て天変畏るるに足らずと為す者は、不敬の甚だしきなり。此の一言にして以て邦を喪ふべきなり。
-
言志四録・言志録 第九十四条 地道は敬に在り人は須らく地道を守るべし。地道は敬に在り。天に順承するのみ。
-
『呻吟語』内篇・問學・希天・達天・合天・為天希天の學有り、達天の學有り、合天の學有り、為天の學有り。
-
『墨子』尚同中夫れ既に天子に尚同するも、未だ天に尚同せざる者は、則ち天菑、將に猶お未だ止まざらんとするなり。故に若し天、寒熱を降すこと節ならず、霜雪雨露、時ならず、五榖熟せず六畜遂げず、疾菑戾疫、飄風苦雨、荐臻して至る者は、此れ天の罰を降すなり。將に以て下人の天に尚同せざるを罰せんとするなり。
-
『後世への最大遺物』第二回・一俵の米は百万の価値があったこうして初めて一俵の米を取った。その人の自伝によりますれば、「米を一俵取ったときの私の喜びは何ともいえなかった。これ天が初めて私に直接に授けたものにして、その一俵は私にとっては百万の価値があった」というてある。それからその方法をだんだん続けまして、二十歳のときに伯父さんの家を辞した。そのときには三、四俵の米を持っておった。それから仕上げた人であります。それでこの人の生涯を初めから終りまで見ますと、「この宇宙というものは実に、天の造ってくださったもので、天というものは実に恩恵の深いもので、人間を助けよう助けようとばかり思っている。それだから、もしわれわれがこの身を天と地とに委ねて天の法則に従っていったならば、われわれは欲せずといえども天がわれわれを助けてくれる」という、こういう考えであります。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る