慎思録 / 巻之六
氣象不同。則所見亦異。以與我所見不同。不可槩乎爲非。雖古賢。其所見往往偏異。與他賢士各不同者多矣。是物之不齊。物之情也。
新字:気象不同。則所見亦異。以与我所見不同。不可槩乎為非。雖古賢。其所見往往偏異。与他賢士各不同者多矣。是物之不斉。物之情也。
書き下し
気象同じからざれば、則ち見る所も亦異なる。我が見る所と同じからざるを以て、概して非と為すべからず。古賢と雖も、其の見る所往往偏異にして、他の賢士と各同じからざる者多し。是れ物の斉しからざるは、物の情なり。
現代語訳
気質や人柄が違えば、見方もまた異なります。自分の見方と違うからといって、おしなべて間違いだとしてはいけません。昔の賢人でさえ、その見方にはしばしば偏りや違いがあって、ほかの賢者とそれぞれ違うことが多いのです。物がそろわないのは物の実情です。
解説
人は気象、つまり気質や人柄が違えば見方も異なるのだから、自分と違う見方を一律に誤りとしてはならないと説く短い条です。「物の斉しからざるは物の情なり」は『孟子』滕文公上の語で、本巻で益軒が何度も引く言葉です。朱子学を奉じながらも異なる学説や人物に寛容だった益軒の態度がよく表れています。意見の違いの多くは、正誤ではなく立ち位置の違いから生まれます。そう思えば、対立はずっと穏やかに扱えます。
この章句が説くこと
気象寛容見方違い孟子
関連する章句
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『慎思録』巻之六人の禀性同じからず。故に其の気象も亦異なる。気象異なれば則ち見る所も亦同じからず。此れ伯夷と柳下恵と、同じく是れ大賢なりと雖も、其の気象同じからず。故に見る所も亦各偏異なり。蓋し人各長短有り、又偏異有り。賢者と雖も免れざる所なり。然れども其の偏僻を以て、其の人を廃棄すべからざるなり。
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『慎思録』巻之三孔孟の教を立つるや、其の言同じからざる有りと雖も、而して其の道は即ち同じなり。孟子の言は、皆是れ孔子の道を発明する所以なり。其の同じからざる所以の者は、蓋し時然るのみ。或いは又聖賢の気象、殊ならざる能はざるなり。
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『慎思録』巻之五古昔先正の言を立つる、若し両説同じからずして、倶に義理有る者は、是れ亦各一理を発明するのみ。偏廃すべからず。苟も虚心に玩味し、各文意に随ひて、其の理の在る所を求むれば、則ち当に並び行はれて悖らざるべし。其の同じからざる処も、亦自ら相妨げず。己の意を以て横に主張を作して、妄りに之を是非すべからず。是れ邪正是非曲直を辨ずる者とも亦自ら別なり。
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『慎思録』巻之六後儒の説の、宋儒の訓義と同じからざる者有るも、亦各見る所有りて説を立つるのみ。若し異学偏僻の説に非ずんば、則ち己に異なると為して都て之を排斥すべからず。蓋し義理は窮まり無し。博く取り周く謀らば、益を得ること少なからず。須らく之を存して参考に備ふべし。
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『慎思録』巻之二人の禀性や各々異なり。一律を以て之を同じくすべからず。故に曰く、物の斉しからざるは、物の情なり、と。子弟卑幼の輩と雖も、其の趣の己と同じからざるを以て、太だ其の過失を督責すること勿かれ。蓋し人を教育するの法は急迫すべからず。急迫なれば則ち順はず。或いは忿戻怨叛に至る。此れ才の不才を養ひ、中の不中を養ふの道に非ず。故に曰く、敬んで五教を敷くは寛に在り、と。然れども寛は還た怠緩の謂ひに非ざるなり。
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『慎思録』巻之五人の稟性各異なる。故に其の好悪も亦同じからず。是を以て世に処り人に接するや、我を好む者有り、我を悪む者有り、我を誉むる者有り、我を毀る者有り。我の悪む所にして人の之を好む者有り、我の好む所にして人の之を悪む者有り。是れ乃ち人の遇と不遇と有る所以にして、君上の愛悪と臣下の栄辱と、皆此に繋る所なり。吾の人に於ける愛悪も、亦然り。其の偏僻なる者有らば、省察して之を正さざるべからず。