慎思録 / 巻之六
後儒之說。與宋儒訓義有不同者。亦各有所見而立說而巳。若非異學偏僻之說。則不可爲異己而都排斥之。葢義理無窮。博取周謀。得益不少矣。須存之而備參考。
新字:後儒之説。与宋儒訓義有不同者。亦各有所見而立説而巳。若非異学偏僻之説。則不可為異己而都排斥之。葢義理無窮。博取周謀。得益不少矣。須存之而備参考。
書き下し
後儒の説の、宋儒の訓義と同じからざる者有るも、亦各見る所有りて説を立つるのみ。若し異学偏僻の説に非ずんば、則ち己に異なると為して都て之を排斥すべからず。蓋し義理は窮まり無し。博く取り周く謀らば、益を得ること少なからず。須らく之を存して参考に備ふべし。
現代語訳
後の儒者の説に、宋の儒者の解釈と違うものがあっても、それぞれ見るところがあって説を立てているのです。もし異端の偏った説でなければ、自分と違うからといってすべて排斥してはいけません。思うに道理には窮まりがありません。広く取り入れ、あまねく考えを巡らせば、得るところは少なくありません。これを残しておいて参考に備えるべきです。
解説
朱子ら宋儒と異なる後世の説も、異端でなければ排斥せず参考に残すべきだと説く条です。益軒の時代、伊藤仁斎の古義学など朱子学を批判する学派が台頭していました。益軒は朱子学者でありながら、晩年の『大疑録』で朱子学にも疑問を呈するほど、開かれた態度を持っていました。道理は窮まりがないという認識が、その寛容を支えています。自分と違う意見を即座に退けず、ひとまず手元に置いて考える習慣は、議論や研究の幅を広げます。
この章句が説くこと
学問寛容義理異説参考
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