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慎思録 / 巻之五

古昔先正之立言。若兩說不同。而倶有義理者。是亦各發明一理耳。不可偏廢。苟虛心玩味。各隨文意。而求其理之所在。則當竝行而不悖。其不同處。亦自不相妨。不可以己意橫作主張。而妄是非之也。是與辨邪正是非曲直者亦自別。

新字:古昔先正之立言。若両説不同。而倶有義理者。是亦各発明一理耳。不可偏廃。苟虚心玩味。各随文意。而求其理之所在。則当並行而不悖。其不同処。亦自不相妨。不可以己意横作主張。而妄是非之也。是与弁邪正是非曲直者亦自別。

書き下し

古昔先正の言を立つる、若し両説同じからずして、倶に義理有る者は、是れ亦各一理を発明するのみ。偏廃すべからず。苟も虚心に玩味し、各文意に随ひて、其の理の在る所を求むれば、則ち当に並び行はれて悖らざるべし。其の同じからざる処も、亦自ら相妨げず。己の意を以て横に主張を作して、妄りに之を是非すべからず。是れ邪正是非曲直を辨ずる者とも亦自ら別なり。

現代語訳

昔の優れた先人たちが言葉を立てるとき、もし二つの説が同じでなく、どちらにも道理があるなら、それぞれが一つの理を明らかにしたものです。どちらかを捨ててはなりません。もし心を虚しくしてよく味わい、それぞれの文の意味に従ってその理のあるところを求めれば、両方並べて行っても食い違わないはずです。その同じでないところも、おのずと互いに妨げ合いません。自分の考えで勝手に主張を立てて、みだりに是非を決めてはなりません。これは邪と正、是と非、曲と直を見分けることとは、おのずと別のことです。

解説

益軒は、先人の説が食い違うとき、すぐにどちらが正しいかを決めようとせず、それぞれがどの理を照らしているかを味わえと勧めます。朱子学は虚心に経書を読むことを重んじました。一方で益軒は、これは邪正や是非をはっきり区別すべき問題とは別だと念を押します。つまり、ものの見方の違いと、善悪の違いとを混同しないことです。会議で意見が分かれたとき、まず両方の意見がそれぞれ何を大事にしているかを理解すれば、対立ではなく補い合う道が見えてくることが少なくありません。

この章句が説くこと

虚心異説玩味学問公平

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