慎思録 / 巻之二
人之禀性也各異。不可以一律同之。故曰。物之不齊。物之情也。雖子弟卑幼之輩。勿以其趣與己不同。太督責其過失。葢敎育於人之法不可急迫。急迫則不順。或至于忿戾怨叛。此非才養不才。中養不中之道。故曰。敬敷五敎在寬。然寬還非怠緩之謂也。
新字:人之禀性也各異。不可以一律同之。故曰。物之不斉。物之情也。雖子弟卑幼之輩。勿以其趣与己不同。太督責其過失。葢教育於人之法不可急迫。急迫則不順。或至于忿戻怨叛。此非才養不才。中養不中之道。故曰。敬敷五教在寛。然寛還非怠緩之謂也。
書き下し
人の禀性や各々異なり。一律を以て之を同じくすべからず。故に曰く、物の斉しからざるは、物の情なり、と。子弟卑幼の輩と雖も、其の趣の己と同じからざるを以て、太だ其の過失を督責すること勿かれ。蓋し人を教育するの法は急迫すべからず。急迫なれば則ち順はず。或いは忿戻怨叛に至る。此れ才の不才を養ひ、中の不中を養ふの道に非ず。故に曰く、敬んで五教を敷くは寛に在り、と。然れども寛は還た怠緩の謂ひに非ざるなり。
現代語訳
人の生まれつきの性質はそれぞれ異なり、一つの基準で同じにしてはなりません。だから「物が等しくないのは、物の実情である」と言うのです。子弟や年少の者であっても、その好みが自分と同じでないからといって、ひどくその過失を責め立ててはなりません。思うに人を教え育てる方法は、急き立ててはなりません。急き立てれば従わず、あるいは怒り逆らい、恨んで背くことにまで至ります。これは才ある者が才なき者を養い、中正な者が中正でない者を養う道ではありません。だから「慎んで五つの教えを敷くのは寛にある」と言うのです。しかし寛とは、なまけてゆるいことではありません。
解説
人の性質はそれぞれ違うので、教育は急がず寛やかにせよ、という条です。「物の斉しからざるは物の情なり」は『孟子』滕文公上、「中や不中を養ひ、才や不才を養ふ」は離婁下、「敬んで五教を敷くは寛に在り」は『書経』舜典の言葉です。『和俗童子訓』を著した益軒の教育観がよく表れています。部下や子どもを自分と同じ型にはめようとして急き立てると、かえって反発を招きます。ただし寛は放任ではない、という最後の一言が大切です。
この章句が説くこと
教育寛容個性養育急迫
関連する章句
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『慎思録』巻之三大凡人を戒め人を教ふるの道は、宜しく漸を以てして寛なるべし。然れども倦怠すべからず。今人の人を教ふるや、急迫ならざれば則ち倦怠す。此の二者は、教を為すの道に非ず。孟子曰く、中や不中を養ひ、才や不才を養ふ、と。養ふとは涵育薫陶の功間断無くして、其の自ら化するを俟つを謂ふなり。是の如くなれば則ち急迫倦怠の二者の過失無し。所謂敬みて五教を敷くは寛に在り、是れなり。敬とは倦怠せざるなり。寛に在りとは急迫せざるなり。是れ人を教ふるの節度なり。
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『慎思録』巻之六程子曰く、大凡人材を長育するには、且く須らく緩緩たるべしと。愚謂へらく、是れ才は不才を養ひ、中は不中を養ひ、乃ち五教を敷くこと寛に在るの意なり。人を教ふるには須らく従容として迫らざるべし。其の不肖を悪みて之を棄つべからず。苟も此くの如くなれば則ち久しくして効有り。蓋し人各偏性有りて、俄かに変ずべからず。順ひて漸を以てして浸く変ずるなり。
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『慎思録』巻之四教戒規諫の道は、迫切なるべからず。迫切なれば、則ち人をして忿恚せしめて、服従すること能はず。子弟を教ふるが如きも、亦た須らく優游して以て之を開導すべし。頑に忿疾すること勿かれ。是れ敬んで五教を敷くこと寛に在るの意なり。蓋し人心は和悦すれば則ち従ひ、忿恚すれば則ち違ふ。故に泮水の詩に曰く、載ち色し載ち笑ひ、怒るに匪ず伊れ教ふ、と。程子も亦た曰く、大率言語は須らく是れ含蓄して余味有るべし、と。薛敬軒曰く、辞婉なれば必ず能く人を動かす、と。此の言皆旨有るかな。
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『慎思録』巻之六子弟の輩、不肖にして不孝不弟なりと雖も、其の頑を忿疾すること勿れ。須らく従容として時に之を教諭すべし。迫切に譴責すべからず。此くの如くなれば則ち父子兄弟、其の恩を傷らず。泮水の詩に曰く、載ち色載ち笑ひ、怒るに匪ず伊れ教ふと。言ふこころは顔色を和らげて笑談を為し、怒責せずして、従容として之を教誨するなり。是れ中は不中を養ひ、才は不才を養ふの道なり。且つ自ら譴責せずして、他人をして教戒せしむべし。此れ古者子を易へて之を教ふるの意なり。然り而して子弟其の教に順従せずんば、則ち巨ぞ之を奈何せん。宜しく容忍すべく、忿怒すべからず。彼其の性素より不肖なるに、我之を譴責すること甚だしければ、則ち却つて益々払戻す。是れ父子相夷ふの道なり。古諺に曰く、不孝は父母を恨み、欠債は財主を怨むと。是れ小人の常情なり。堯舜の聖にして貴きこと天子為りと雖も、不肖の子有りて、奈何ともすべからず。是れ亦天命此くの如きのみ。况や常人をや。憤怒憂苦を做すべからざるなり。天命に安んじて可なり。
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『慎思録』巻之二人に過失有るは、其の偏性に由る。彼の頑愚は奈何ともすべからず。或いは時勢に已むを得ざるに出づる者有り。皆当に宥恕すべき所なり。譴責すること太だ厳急なるべからず。惟だ容るること有れば、徳則ち大なり。又宥恕すべからざる者有り。一概に論じ難し。
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『慎思録』巻之四子弟門人に対しては、須らく事に随ひて教誨すべし。過ち有れば則ち規戒す。疎懶にして黙止すべからず。此の如くすれば則ち庶はくは漸くにして益有らん。人を教育するの道、宜しく此の如くなるべし。奴僕と雖も、亦た教誨無かるべからず。若し或いは疎懶にして教へず、姑息にして戒めざれば、即ち朝夕親炙の久しきと雖も、過ちを聞き誨へを受くるの益無し。此れ中や不中を棄て、才や不才を棄つるなり。君子の人を教育するの道に非ざるなり。