慎思録 / 巻之六
雖有聰明之質。而無謙遜之德。則必負一己之力。爲自足而不資人。故多所蔽塞。而不旁通。所謂自用則小也。此學功之所以不成也。學者自治。與敎人。須要不同。如自治。要事事細密。不厭煩繁。苟不若此。則格致之理不明。力行之功不精。苟如敎人。須易簡。凡人情好易簡。而惡煩勞。苟敎初學之人。以煩繁之工夫。則厭惡之而不爲矣。無由入道。只學問漸久而習熟。則不厭煩多。苟自初頭。以吾所爲施敎之。則扞格而不勝。
新字:雖有聰明之質。而無謙遜之徳。則必負一己之力。為自足而不資人。故多所蔽塞。而不旁通。所謂自用則小也。此学功之所以不成也。学者自治。与教人。須要不同。如自治。要事事細密。不厭煩繁。苟不若此。則格致之理不明。力行之功不精。苟如教人。須易簡。凡人情好易簡。而悪煩労。苟教初学之人。以煩繁之工夫。則厭悪之而不為矣。無由入道。只学問漸久而習熟。則不厭煩多。苟自初頭。以吾所為施教之。則扞格而不勝。
書き下し
聡明の質有りと雖も、謙遜の徳無くば、則ち必ず一己の力を負みて、自足と為して人に資らず。故に蔽塞する所多くして、旁通せず。所謂自ら用ゐれば則ち小なり。此れ学功の成らざる所以なり。学者の自ら治むると、人を教ふるとは、須らく同じからざることを要すべし。自ら治むるが如きは、事事細密にして、煩繁を厭はざることを要す。苟も此くの若くならずば、則ち格致の理明らかならず、力行の功精しからず。苟も人を教ふるが如きは、須らく易簡なるべし。凡そ人情は易簡を好みて、煩労を悪む。苟も初学の人に教ふるに、煩繁の工夫を以てすれば、則ち之を厭悪して為さず、道に入るに由無し。只学問漸く久しくして習熟すれば、則ち煩多を厭はず。苟も初頭より、吾の為す所を以て之に教へを施せば、則ち扞格して勝へず。
現代語訳
聡明な資質があっても、謙遜の徳がなければ、必ず自分一人の力を頼みとして満足し、人に頼って学ぼうとしません。だから蔽われ塞がるところが多く、広く通じません。いわゆる「自分の考えだけを用いれば小さくなる」です。これが学問の成らない理由です。学ぶ者が自分を治めることと、人を教えることは、違っていなければなりません。自分を治めるには、一つ一つを細かく精密にして、煩わしさを厭わないことが必要です。そうでなければ、物事の理を窮める格物致知が明らかにならず、力行の働きも精密になりません。人を教えるには、平易で簡潔でなければなりません。およそ人の心は平易で簡潔なことを好み、煩わしい苦労を嫌います。もし初学者に煩わしい工夫を教えれば、嫌がってやらず、道に入るきっかけがありません。ただ学問がしだいに久しくなって習熟すれば、煩わしく多いことも厭わなくなります。もし最初から自分のやり方で教えれば、受け付けずに堪えられなくなります。
解説
この章句が説くこと
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