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配所残筆 / 配所殘筆1

我等儀、凡下之者、殊更無德短才、中々御歷々之御末席へも出座仕候者に無之候所、幼少之時分より、似合に人も存候て、御歷々方御取持被下候、此段全く我等德義の故とは不存候、天道之冥加に相成候故に可有之、愈天命をおそれ候て、物毎日用相愼候事候、 六歲より親申付候て、學問被爲仕候へ共、無器用に候て、漸八歲之頃迄に、四書五經七書詩文之書大方よみ覺候、 九歲之時、稻葉丹後守殿御來家塚田杢助我等親近付に候故、我等を林道春老弟子に仕度由賴入候、杢助序に丹後守殿迄申上候へば、幼少にて學問仕候事奇特成由被仰、於御城林道春へ直に丹後殿御賴被下候、就は杢助拙者を同道仕候而道春へ參り、道春永喜一座にて、我等に論語の序無點の唐本にて讀せ被申候、我等讀候へば、山谷も取出候て被爲讀候、永喜被申候は、幼少にと如斯讀候事奇特に候、乍然田舍學問之者師を仕候と相見え、點惡敷候由被申候、道春も永喜同意に被申候て感悅被仕、別而念頃に候て、十一歲迄以前讀候書物共又點を改、無點之本にて讀直申候、 十一歲の春、歲旦之詩を初て作候て道春へ見せ候へば、一字改被申候て、則序文を書、幼小之述作別 而感入候之由書狀被副之、和韻被仕候、 同年堀尾山城守殿家老揖斐伊豆我等へ被懸目候て、則山城守殿へ被召寄、書物を讀、伊豆是非共山城守殿へ奉公に出候樣、二百石は可被下候由申候へ共、我等親同心不仕候、

新字:我等儀、凡下之者、殊更無徳短才、中々御歴々之御末席へも出座仕候者に無之候所、幼少之時分より、似合に人も存候て、御歴々方御取持被下候、此段全く我等徳義の故とは不存候、天道之冥加に相成候故に可有之、愈天命をおそれ候て、物毎日用相慎候事候、 六歳より親申付候て、学問被為仕候へ共、無器用に候て、漸八歳之頃迄に、四書五経七書詩文之書大方よみ覚候、 九歳之時、稲葉丹後守殿御来家塚田杢助我等親近付に候故、我等を林道春老弟子に仕度由頼入候、杢助序に丹後守殿迄申上候へば、幼少にて学問仕候事奇特成由被仰、於御城林道春へ直に丹後殿御頼被下候、就は杢助拙者を同道仕候而道春へ参り、道春永喜一座にて、我等に論語の序無点の唐本にて読せ被申候、我等読候へば、山谷も取出候て被為読候、永喜被申候は、幼少にと如斯読候事奇特に候、乍然田舎学問之者師を仕候と相見え、点悪敷候由被申候、道春も永喜同意に被申候て感悦被仕、別而念頃に候て、十一歳迄以前読候書物共又点を改、無点之本にて読直申候、 十一歳の春、歳旦之詩を初て作候て道春へ見せ候へば、一字改被申候て、則序文を書、幼小之述作別 而感入候之由書状被副之、和韻被仕候、 同年堀尾山城守殿家老揖斐伊豆我等へ被懸目候て、則山城守殿へ被召寄、書物を読、伊豆是非共山城守殿へ奉公に出候様、二百石は可被下候由申候へ共、我等親同心不仕候、

書き下し

我等儀、凡下之者、殊更無德短才、中々御歷々之御末席へも出座仕候者に無之候所、幼少之時分より、似合に人も存候て、御歷々方御取持被下候、此段全く我等德義の故とは不存候、天道之冥加に相成候故に可有之、愈天命をおそれ候て、物毎日用相愼候事候、 六歲より親申付候て、學問被爲仕候へ共、無器用に候て、漸八歲之頃迄に、四書五經七書詩文之書大方よみ覺候、 九歲之時、稻葉丹後守殿御來家塚田杢助我等親近付に候故、我等を林道春老弟子に仕度由賴入候、杢助序に丹後守殿迄申上候へば、幼少にて學問仕候事奇特成由被仰、於御城林道春へ直に丹後殿御賴被下候、就は杢助拙者を同道仕候而道春へ參り、道春永喜一座にて、我等に論語の序無點の唐本にて讀せ被申候、我等讀候へば、山谷も取出候て被爲讀候、永喜被申候は、幼少にと如斯讀候事奇特に候、乍然田舍學問之者師を仕候と相見え、點惡敷候由被申候、道春も永喜同意に被申候て感悅被仕、別而念頃に候て、十一歲迄以前讀候書物共又點を改、無點之本にて讀直申候、 十一歲の春、歲旦之詩を初て作候て道春へ見せ候へば、一字改被申候て、則序文を書、幼小之述作別 而感入候之由書狀被副之、和韻被仕候、 同年堀尾山城守殿家老揖斐伊豆我等へ被懸目候て、則山城守殿へ被召寄、書物を讀、伊豆是非共山城守殿へ奉公に出候樣、二百石は可被下候由申候へ共、我等親同心不仕候、

現代語訳

私は凡庸な者で、とりわけ徳も才も乏しく、本来なら歴々の方々の末席に出られるような身分ではありません。それなのに幼少のころから、身のほどに応じて人に知っていただき、歴々の方々に引き立てていただきました。これは自分の徳によるものとはまったく思わず、天道のお加護のおかげでしょう。いよいよ天命を畏れ、日々のことを慎んでおります。六歳から親の言いつけで学問をさせられましたが、不器用で、ようやく八歳のころまでに、四書五経・七書・詩文の書をおおかた読み覚えました。九歳のとき、稲葉丹後守殿が来家され、塚田杢助が私の親しい知り合いだったので、私を林道春の弟子の末席に加えてほしいと頼みました。杢助が序でに丹後守殿へ申し上げると、幼少で学問をしているのは感心なことだと仰せられ、江戸城で林道春へ直接ご依頼くださいました。そこで杢助が私を連れて道春のもとへ参り、道春と永喜が同席する場で、私は『論語』の序を、訓点のない唐本で読まされました。私が読むと、難しい箇所も取り出して読ませられました。永喜は、幼いのにこのように読むのは感心だが、田舎の学者を師にしたと見えて訓点が悪い、と言われ、道春も同意して感心し、とくに懇意にしてくださって、十一歳になるまでに読んだ書物を、訓点を改めて無点の本で読み直しました。十一歳の春、歳旦の詩をはじめて作って道春に見せると、一字だけ直され、序文を書き、幼い者の作として格別に感心したという書状を添え、和韻の詩を作ってくださいました。同じ年、堀尾山城守殿の家老の揖斐伊豆が私に目をかけ、山城守殿のもとへ召し寄せられて書物を読みました。伊豆はぜひ山城守殿へ奉公に出るようにと、二百石を下さるとまで申しましたが、私の親が同意しませんでした。

解説

素行が自分の経歴を語りはじめる冒頭の段です。まず、凡庸で徳も才もないと自分を低く置き、これまで受けた引き立てを天道のお加護のおかげと受け止める構えを示します。そのうえで六歳からの学問、九歳での林道春との出会い、十一歳での詩作と二百石の誘いを順に挙げますが、親が同意せず仕官は見送られた、という一言で終わります。自慢話に聞こえかねない事実を、謙遜の枠に入れて並べる語り口が特徴です。自己紹介や職務経歴を書くときの、実績の置き方と言い方の参考になります。

この章句が説くこと

学問謙遜天命師との出会い仕官配所残筆

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