和俗童子訓 / 巻之二・総論下
一人の弟子となり、師に仕へては、我が位高しといへども高ぶらず、師を尊び敬ひて重んずべし。師を尊ばざれば、學問の道たゝず。師たる人、敎を弟子に施さば、弟子これに法り習ひ、師に對して、心も顏色も、和かに敬ひ愼み、我が心を虛しくして自滿なく、旣に知れる事をも、知らざる如くし、又よく行ふ事をも、よくせざる如くにして、へり下るべし。師より受けたる敎をば、心を盡してきはめ習ふべし。是弟子たる者の、師にあひて敎を受くる法なり。
新字:一人の弟子となり、師に仕へては、我が位高しといへども高ぶらず、師を尊び敬ひて重んずべし。師を尊ばざれば、学問の道たゝず。師たる人、教を弟子に施さば、弟子これに法り習ひ、師に対して、心も顔色も、和かに敬ひ慎み、我が心を虚しくして自満なく、既に知れる事をも、知らざる如くし、又よく行ふ事をも、よくせざる如くにして、へり下るべし。師より受けたる教をば、心を尽してきはめ習ふべし。是弟子たる者の、師にあひて教を受くる法なり。
書き下し
一人の弟子となり、師に仕へては、我が位高しといへども高ぶらず、師を尊び敬ひて重んずべし。師を尊ばざれば、学問の道たたず。師たる人、教を弟子に施さば、弟子これに法り習ひ、師に対して、心も顔色も、和かに敬ひ慎み、我が心を虚しくして自満なく、既に知れる事をも、知らざる如くし、又よく行ふ事をも、よくせざる如くにして、へり下るべし。師より受けたる教をば、心を尽してきはめ習ふべし。是弟子たる者の、師にあひて教を受くる法なり。
現代語訳
人の弟子となって師に仕える時は、自分の位が高くても高ぶらず、師を尊び敬って重んじなさい。師を尊ばなければ、学問の道は立ちません。師である人が教えを弟子に施したら、弟子はそれに従って習い、師に対しては、心も顔色も和やかに敬い慎み、自分の心を空しくして自己満足をせず、すでに知っていることも知らないかのようにし、またよくできることもできないかのようにして、へりくだりなさい。師から受けた教えは、心を尽くして究め習いなさい。これが弟子たる者が師について教えを受ける法です。
解説
この章句が説くこと
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『翁問答』序隣里に天君とて逸民とおぼしき老翁ありけると友の語りし儘訪ひたづねて、杖を取て見へける、我眼力伯楽ならねば、騏駑の分ちは知らざれ共、威儀いとけだかく、人相和厚にして謙遜なれば、俗儒の意気たくましく、口気たかぶるに違ひ心ならず慕しく敬れて暇の日は常に傍にと雖、心に問べき貯へなければ、只山賤の花に向へるに異らず門下に体充とて俊秀なる人有て、平日疑問論難止む時なし、傍にて聞と雖、我心の及ばぬ際は記憶すること不能、心の粗通する事あれば、退て倭語にて書付け遺忘に備へぬ、斯くして年を積りぬれば、箇条も数多になり、心に守り身に行べき道理も少し、開悟に似たる様にあれば、若し又我如きの愚者あらば、万一工夫の助けにも成る可きかと改めうつして、翁問答と題号して、巾笥にかくし置ける、言いやしく理きこへがたけれ共、有道に付て正す可き程の事ならねば、只愚者の書付けたる儘にして、翁の本意に違ふ処多くあるべし、若読人あらば、辞にて志をそこなはずば、我人の大幸たる可き乎。
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『慎思録』巻之六聡明の質有りと雖も、謙遜の徳無くば、則ち必ず一己の力を負みて、自足と為して人に資らず。故に蔽塞する所多くして、旁通せず。所謂自ら用ゐれば則ち小なり。此れ学功の成らざる所以なり。学者の自ら治むると、人を教ふるとは、須らく同じからざることを要すべし。自ら治むるが如きは、事事細密にして、煩繁を厭はざることを要す。苟も此くの若くならずば、則ち格致の理明らかならず、力行の功精しからず。苟も人を教ふるが如きは、須らく易簡なるべし。凡そ人情は易簡を好みて、煩労を悪む。苟も初学の人に教ふるに、煩繁の工夫を以てすれば、則ち之を厭悪して為さず、道に入るに由無し。只学問漸く久しくして習熟すれば、則ち煩多を厭はず。苟も初頭より、吾の為す所を以て之に教へを施せば、則ち扞格して勝へず。
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『和俗童子訓』巻之一・総論上一富貴の家の子に生れては、幼き時より、世のもてなし人の敬あつくして、よろづ豊かに心のままにて、世界の栄花にのみふけるならはしなれば、恐れ慎む心なく、おごり日々に長じ易く、戯遊を好み、人の諫をきらひ悪む。況や学問などに身を苦めん事は、いと堪へ難くて、富貴の人のするわざにあらずと思ひ、むつかしくいたづがはしとて、うとんじ嫌ふ。かかる故に、おごりをおさへて、身をへり下り、心をひそめ、師を尊び、古を考へずんば、いかにしてか心智をひらきて、身を修め人を治むる道を知るべきや。
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