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大和俗訓 / 自序

こゝを以て、わが國聖學の寥々たる事、古よりすでに久し。うらみても猶うらめしきかな。しかれども、今まさに聖明の御世にあたりぬれば、人文やうやく開けて、聖學の世に明かになりなん事たのもし。今の世の俗をさとさんため、からの文字を作りて、聖の道をとかんことは、わが輩のちからになしうべからず。況やもろこしのもろもろの先正の說、すでに明かに備はれるをや。漢字をしれる人はよんでしるべければ、今更贅言を用ふべからず。夫聖人の道の、至りて高大にしてふかくおくまりたるは、此國のをんなもじを以て、其かたはしをもまなびて說かんことおほけなくて、管にて天をうかゞひ、蠡にて海をはかるが如くなれば、つたなき筆にてしるさん事、飛鳥川のふかき淵の變じてあさき瀨となり行きなんうれひに、猶まされりといへども、高きにのぼるには、必まづふもとよりし、遠きにゆくには、必近きよりはじむる理あれば、世の不幸にして漢字をしらざる人の爲に、いさゝかむかし聞ける所のことわりを、今の俗語を以てかきあつめて八卷とし、名づけて大和俗訓といふ。

新字:こゝを以て、わが国聖学の寥々たる事、古よりすでに久し。うらみても猶うらめしきかな。しかれども、今まさに聖明の御世にあたりぬれば、人文やうやく開けて、聖学の世に明かになりなん事たのもし。今の世の俗をさとさんため、からの文字を作りて、聖の道をとかんことは、わが輩のちからになしうべからず。況やもろこしのもろもろの先正の説、すでに明かに備はれるをや。漢字をしれる人はよんでしるべければ、今更贅言を用ふべからず。夫聖人の道の、至りて高大にしてふかくおくまりたるは、此国のをんなもじを以て、其かたはしをもまなびて説かんことおほけなくて、管にて天をうかゞひ、蠡にて海をはかるが如くなれば、つたなき筆にてしるさん事、飛鳥川のふかき淵の変じてあさき瀨となり行きなんうれひに、猶まされりといへども、高きにのぼるには、必まづふもとよりし、遠きにゆくには、必近きよりはじむる理あれば、世の不幸にして漢字をしらざる人の為に、いさゝかむかし聞ける所のことわりを、今の俗語を以てかきあつめて八巻とし、名づけて大和俗訓といふ。

書き下し

ここを以て、わが国聖学の寥々たる事、古よりすでに久し。うらみても猶うらめしきかな。しかれども、今まさに聖明の御世にあたりぬれば、人文やうやく開けて、聖学の世に明かになりなん事たのもし。今の世の俗をさとさんため、からの文字を作りて、聖の道をとかんことは、わが輩のちからになしうべからず。況やもろこしのもろもろの先正の説、すでに明かに備はれるをや。漢字をしれる人はよんでしるべければ、今更贅言を用ふべからず。夫聖人の道の、至りて高大にしてふかくおくまりたるは、此国のをんなもじを以て、其かたはしをもまなびて説かんことおほけなくて、管にて天をうかがひ、蠡にて海をはかるが如くなれば、つたなき筆にてしるさん事、飛鳥川のふかき淵の変じてあさき瀨となり行きなんうれひに、猶まされりといへども、高きにのぼるには、必まづふもとよりし、遠きにゆくには、必近きよりはじむる理あれば、世の不幸にして漢字をしらざる人の為に、いささかむかし聞ける所のことわりを、今の俗語を以てかきあつめて八巻とし、名づけて大和俗訓といふ。

現代語訳

こういうわけで、わが国で聖人の学問がさびれていることは、昔からすでに久しいのです。恨んでもなお恨めしいことです。けれども、今まさに聖明な御代にあたっているので、人の文化がようやく開けて、聖人の学問が世に明らかになるであろうことは頼もしいことです。今の世の人々を諭すために漢文を作って聖人の道を説くことは、私どもの力ではできません。まして中国の多くの先賢の説は、すでに明らかに備わっているのです。漢字を知っている人はそれを読んで知ればよいので、今さら余計な言葉を費やすには及びません。そもそも聖人の道が極めて高く大きく、深く奥まっているのを、この国の仮名文字によって、その一端でも学んで説こうとするのは身の程知らずで、管で天をのぞき、ひさごで海の水を量るようなものです。拙い筆で書き記すことは、飛鳥川の深い淵が変わって浅い瀬となってしまうような心配にもまさるものですが、高い所へ登るには必ずまず麓から始め、遠くへ行くには必ず近い所から始めるという道理がありますので、世の中で不幸にも漢字を知らない人のために、昔聞いた道理を少しばかり今の話し言葉で書き集めて八巻とし、大和俗訓と名づけました。

解説

ここで益軒は本書を和文で書いた理由を述べています。漢文で書くのは自分の力に余り、しかも中国の先賢の説はすでに十分にある。だから漢字を読めない人のために、仮名交じりの話し言葉で書くのだというのです。「管にて天をうかがう」は『荘子』などに見える、狭い見方のたとえです。高い所へ登るには麓から、という言葉は『中庸』にも通じます。専門家向けの正確さより、届く相手に合わせた言葉を選ぶという姿勢は、今の教材づくりや社内の説明にもそのまま使える考え方です。

この章句が説くこと

学問和文教育謙遜聖人の道

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