慎思録 / 巻之六
有好經學。而不好知道爲善者。是通經書之訓詁。而不通義理。好聖學之名。而不好聖學之實也。此可爲訓詁之學。其蔽塞有如此者。陸子靜不喜伊川。以爲其爲人蔽固深。葢陸子學行曠達。因與伊川之謹嚴。其禀性不相類也。人性各有所偏。雖賢者所不免也。如伯夷柳下惠。是也。取其所長。則雖衆人。亦有可用處。况於賢者乎。苟以與吾之識趣性行有所不合。而廢其賢。是以寸瑕捨尺璧也。可謂不能取人之善也。象山之不喜伊川亦然。
新字:有好経学。而不好知道為善者。是通経書之訓詁。而不通義理。好聖学之名。而不好聖学之実也。此可為訓詁之学。其蔽塞有如此者。陸子静不喜伊川。以為其為人蔽固深。葢陸子学行曠達。因与伊川之謹厳。其禀性不相類也。人性各有所偏。雖賢者所不免也。如伯夷柳下恵。是也。取其所長。則雖衆人。亦有可用処。況於賢者乎。苟以与吾之識趣性行有所不合。而廃其賢。是以寸瑕捨尺璧也。可謂不能取人之善也。象山之不喜伊川亦然。
書き下し
経学を好みて、道を知り善を為すことを好まざる者有り。是れ経書の訓詁に通じて、義理に通ぜず、聖学の名を好みて、聖学の実を好まざるなり。此れ訓詁の学と為すべし。其の蔽塞此くの如き者有り。陸子静、伊川を喜ばず、以て其の人と為り蔽固深しと為す。蓋し陸子の学行は曠達にして、因りて伊川の謹厳と、其の禀性相類せざるなり。人の性は各偏る所有り。賢者と雖も免れざる所なり。伯夷・柳下恵の如き、是れなり。其の長ずる所を取れば、則ち衆人と雖も、亦用ゐるべき処有り。況んや賢者に於いてをや。苟も吾の識趣性行と合はざる所有るを以て、其の賢を廃するは、是れ寸瑕を以て尺璧を捨つるなり。人の善を取ること能はずと謂ふべし。象山の伊川を喜ばざるも亦然り。
現代語訳
経学を好んでも、道を知り善を行うことを好まない者がいます。これは経書の語句の解釈には通じていても道理には通じておらず、聖学の名を好んで聖学の実を好まないのです。これは訓詁の学というべきで、その蔽われ塞がったさまはこのようなものです。陸子静(象山)は伊川を好まず、その人柄は蔽われ固まったところが深いとしました。思うに陸子の学問と行いはおおらかで、伊川の謹厳さとは生まれつきの性質が似ていないのです。人の性質にはそれぞれ偏りがあり、賢者でも免れません。伯夷や柳下恵がそうです。その長所を取れば、一般の人にも用いるべきところがあります。まして賢者ならなおさらです。もし自分の見識や趣味、性格や行いと合わないところがあるからといってその賢さを捨てるなら、それは一寸の傷のために一尺の宝玉を捨てるようなものです。人の善を取ることができないと言うべきです。象山が伊川を好まなかったのもまた同じです。
解説
この章句が説くこと
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