慎思録 / 巻之六
貧賤者。衆人之所惡。富貴者。衆人之所好也。然以學問之好否論之。則貧賤而好學者。其所勝于富貴而不學者爲遠矣。何也。葢貧賤者。身雖有勞苦。心無憂患。其好學者。有淸福之樂。而無放縱之禍。多閑暇。而安靜。自少年無淫泆之災。驕怠之失。故刻苦讀書者。其用心也精矣。故易達乎理。而所得爲深矣。富貴者。雖身安佚。心多憂苦。無淸福之樂。而有淫溺之禍。自幼狃安逸耽驕怠。而不勤勞于學問。故用心不精。而於道理無所達。故終身無所得焉。其所樂止于飮食聲色器玩服飾禽獸之間。而迷溺終身矣。其淫泆之甚者。樂未旣憂速至。是以災害洊至焉。不可爲樂。或雖以此爲樂。然其所樂淺矣。胡五峯曰。因貧賤而修益者多矣。因富貴而不失淫泆者寡。則富貴不若貧賤矣。誠哉斯言也。以此見之。則富貴而不好學者。其所損多所益少。而且所樂亦爲寡矣。貧賤而好學者。其所益多所損少。而且所樂亦爲多矣。豈其不然耶。
新字:貧賤者。衆人之所悪。富貴者。衆人之所好也。然以学問之好否論之。則貧賤而好学者。其所勝于富貴而不学者為遠矣。何也。葢貧賤者。身雖有労苦。心無憂患。其好学者。有清福之楽。而無放縦之禍。多閑暇。而安静。自少年無淫泆之災。驕怠之失。故刻苦読書者。其用心也精矣。故易達乎理。而所得為深矣。富貴者。雖身安佚。心多憂苦。無清福之楽。而有淫溺之禍。自幼狃安逸耽驕怠。而不勤労于学問。故用心不精。而於道理無所達。故終身無所得焉。其所楽止于飲食声色器玩服飾禽獣之間。而迷溺終身矣。其淫泆之甚者。楽未既憂速至。是以災害洊至焉。不可為楽。或雖以此為楽。然其所楽浅矣。胡五峯曰。因貧賤而修益者多矣。因富貴而不失淫泆者寡。則富貴不若貧賤矣。誠哉斯言也。以此見之。則富貴而不好学者。其所損多所益少。而且所楽亦為寡矣。貧賤而好学者。其所益多所損少。而且所楽亦為多矣。豈其不然耶。
書き下し
貧賤は衆人の悪む所、富貴は衆人の好む所なり。然れども学問の好否を以て之を論ずれば、則ち貧賤にして学を好む者は、其の富貴にして学ばざる者に勝る所遠し。何ぞや。蓋し貧賤なる者は、身に労苦有りと雖も、心に憂患無し。其の学を好む者は、清福の楽有りて、放縦の禍無く、閑暇多くして安静なり。少年より淫泆の災ひ、驕怠の失無し。故に刻苦して書を読む者は、其の心を用ゐるや精し。故に理に達し易くして、得る所深しと為す。富貴なる者は、身安佚なりと雖も、心憂苦多く、清福の楽無くして、淫溺の禍有り。幼より安逸に狃れ驕怠に耽りて、学問に勤労せず。故に心を用ゐること精しからずして、道理に於いて達する所無し。故に終身得る所無し。其の楽しむ所は飲食声色器玩服飾禽獣の間に止まりて、迷溺して身を終ふ。其の淫泆の甚だしき者は、楽しみ未だ既きずして憂ひ速やかに至る。是を以て災害洊りに至る。楽と為すべからず。或は此を以て楽と為すと雖も、然れども其の楽しむ所浅し。胡五峰曰く、貧賤に因りて修益する者は多く、富貴に因りて淫泆に失はざる者は寡しと。則ち富貴は貧賤に若かず。誠なるかな斯の言や。此を以て之を見れば、則ち富貴にして学を好まざる者は、其の損する所多く益する所少なく、且つ楽しむ所も亦寡しと為す。貧賤にして学を好む者は、其の益する所多く損する所少なく、且つ楽しむ所も亦多しと為す。豈に其れ然らざらんや。
現代語訳
貧賤は人々の嫌うもの、富貴は人々の好むものです。しかし学問を好むかどうかで論じれば、貧賤で学問を好む者は、富貴で学ばない者にはるかに勝ります。なぜでしょうか。思うに貧賤な者は、体には苦労があっても、心には憂いがありません。学問を好む者は清らかな福の楽しみがあって、気ままの災いがなく、暇が多くて安らかです。若いころから淫らな遊びの災いや驕り怠けの失敗がありません。だから苦労して書を読む者は、心の用い方が精密です。それで道理に達しやすく、得るところが深いのです。富貴な者は、体は安楽でも心には憂いや苦しみが多く、清らかな福の楽しみがなくて、溺れる災いがあります。幼いころから安逸に慣れ、驕り怠けに耽って、学問に励みません。だから心の用い方が精密でなく、道理に達するところがなく、一生得るところがありません。その楽しみは飲食・音楽や色事・道具・衣服・鳥獣の間にとどまり、迷い溺れて一生を終えます。淫らな遊びの甚だしい者は、楽しみが尽きないうちに憂いがすぐにやって来ます。それで災いが次々と来るのです。楽しみとは言えません。これを楽しみとするとしても、その楽しみは浅いものです。胡五峰は「貧賤によって身を修め益を得る者は多く、富貴によって淫らな遊びに身を失わない者は少ない」と言いました。つまり富貴は貧賤に及ばないのです。まことにこの言葉の通りです。こう見れば、富貴で学問を好まない者は、損が多く益が少なく、楽しみも少ないのです。貧賤で学問を好む者は、益が多く損が少なく、楽しみも多いのです。どうしてそうでないことがありましょう。
解説
この章句が説くこと
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