慎思録 / 巻之六
富貴不若貧賤。其居富貴也。奚以喜。其居貧賤也。奚以悲。其故若何。葢富貴則易驕怠。故道心滅。貧賤則易勤儉。故道心生。是以富貴所失常多。貧賤所得常多。此所以富貴之不如貧賤。貧賤之勝富貴也。
新字:富貴不若貧賤。其居富貴也。奚以喜。其居貧賤也。奚以悲。其故若何。葢富貴則易驕怠。故道心滅。貧賤則易勤倹。故道心生。是以富貴所失常多。貧賤所得常多。此所以富貴之不如貧賤。貧賤之勝富貴也。
書き下し
富貴は貧賤に若かず。其の富貴に居るや、奚を以て喜ばん。其の貧賤に居るや、奚を以て悲しまん。其の故若何。蓋し富貴なれば則ち驕怠し易し、故に道心滅ぶ。貧賤なれば則ち勤倹し易し、故に道心生ず。是を以て富貴は失ふ所常に多く、貧賤は得る所常に多し。此れ富貴の貧賤に如かず、貧賤の富貴に勝る所以なり。
現代語訳
富貴は貧賤に及びません。富貴にあってどうして喜ぶことがあり、貧賤にあってどうして悲しむことがあるでしょうか。その理由は何でしょうか。思うに富貴であれば驕り怠けやすいので道心が滅び、貧賤であれば勤勉で倹約しやすいので道心が生じます。だから富貴は失うものが常に多く、貧賤は得るものが常に多いのです。これが富貴が貧賤に及ばず、貧賤が富貴に勝るゆえんです。
解説
富貴は驕りと怠りを招いて道心を失わせ、貧賤は勤勉と倹約を促して道心を育てるので、貧賤の方が勝ると説く条です。「道心」は『書経』大禹謨の人心・道心に由来し、朱子学では義理に従う心を言います。本巻には富貴と貧賤を比べる条がいくつも並び、益軒の晩年の関心の深さがうかがえます。恵まれた環境は人を怠けさせ、足りない環境は工夫を生みます。条件の不足を嘆くより、そこで育つ心に目を向ける見方です。
この章句が説くこと
道心富貴貧賤勤倹驕り
関連する章句
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