慎思録 / 巻之六
子曰。求也退。故進之。由也兼人。故退之。葢聖人之敎人。猶良醫之用藥也。病有寒熱虛實。然良醫能察之。故用藥有補瀉温涼之異。人之資質有强弱利鈍之殊。聖人能識之故施敎有進退抑揚之不同。欲令無過不及之差。而歸乎中行也。
新字:子曰。求也退。故進之。由也兼人。故退之。葢聖人之教人。猶良医之用薬也。病有寒熱虚実。然良医能察之。故用薬有補瀉温涼之異。人之資質有強弱利鈍之殊。聖人能識之故施教有進退抑揚之不同。欲令無過不及之差。而帰乎中行也。
書き下し
子曰く、求や退く、故に之を進む。由や人を兼ぬ、故に之を退くと。蓋し聖人の人を教ふるは、猶ほ良医の薬を用ゐるがごとし。病に寒熱虚実有り。然れども良医能く之を察す。故に薬を用ゐるに補瀉温涼の異有り。人の資質に強弱利鈍の殊有り。聖人能く之を識る。故に教へを施すに進退抑揚の同じからざる有り。過不及の差無からしめて、中行に帰せしめんと欲するなり。
現代語訳
孔子は「求(冉有)は引っ込み思案だから前に進ませた。由(子路)は人を押しのけるほどだから抑えた」と言いました。思うに聖人が人を教えるのは、良医が薬を用いるようなものです。病には寒・熱・虚・実があり、良医はそれを見極めるので、薬の用い方に補う・瀉す・温める・冷ますの違いがあります。人の資質には強い弱い、鋭い鈍いの違いがあり、聖人はそれを見抜くので、教えの施し方に進める・退かせる・抑える・揚げるの違いがあります。行き過ぎも不足もないようにして、中庸の道に帰らせようとするのです。
解説
同じ問いに対して冉有と子路に正反対の答えをした孔子の逸話(『論語』先進篇)を引き、教育は相手の資質に応じて処方を変える医術のようなものだと説く条です。寒熱虚実や補瀉温涼は漢方医学の用語で、医学にも通じた益軒らしい比喩です。目指すのは『論語』子路篇の「中行」、偏りのない中庸の人です。部下や子どもの指導でも、同じ言葉が人によって薬にも毒にもなります。相手を見極めてから言葉を選ぶことが大切です。
この章句が説くこと
教え中庸論語指導資質
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