うひ山ぶみ / 第十六段
さてまづ上の件のごとくなれば、まなびのしなも、しひてはいひがたく、學びやうの法も、かならず云々してよろしとは、定めがたく、又定めざれども、實はくるしからぬことなれば、たゞ心にまかすべきわざなれども、さやうにばかりいひては、初心の輩は、取リつきどころなくして、おのづから倦おこたるはしともなることなれば、やむことをえず、今宣長が、かくもやあるべからんと思ひとれるところを、一わたりいふべき也、
新字:さてまづ上の件のごとくなれば、まなびのしなも、しひてはいひがたく、学びやうの法も、かならず云々してよろしとは、定めがたく、又定めざれども、実はくるしからぬことなれば、たゞ心にまかすべきわざなれども、さやうにばかりいひては、初心の輩は、取リつきどころなくして、おのづから倦おこたるはしともなることなれば、やむことをえず、今宣長が、かくもやあるべからんと思ひとれるところを、一わたりいふべき也、
書き下し
さてまづ上の件のごとくなれば、まなびのしなも、しひてはいひがたく、学びやうの法も、かならず云々してよろしとは、定めがたく、又定めざれども、実はくるしからぬことなれば、たゞ心にまかすべきわざなれども、さやうにばかりいひては、初心の輩は、取リつきどころなくして、おのづから倦おこたるはしともなることなれば、やむことをえず、今宣長が、かくもやあるべからんと思ひとれるところを、一わたりいふべき也、
現代語訳
さて以上のようであるから、学ぶ分野も強いては言いがたく、学び方の作法も必ずこうするのがよいとは定めがたく、また定めなくても実は差し支えないことなので、ただ本人の心に任せるべきわざではあるけれども、そうとばかり言っていては、初心の人々は取りつくところがなくて、自然と飽き怠るきっかけにもなることだから、やむを得ず、今、宣長がこうもあろうかと考えているところを、ひととおり述べることにする。
解説
本書の後半に入る前の断り書きである。分野も方法も本人任せでよいと言ってきた宣長が、それでは初学者は取りつく先がなく、かえって飽きて怠る原因になると認め、「やむことをえず」自分の考えを述べると宣言する。教える側の葛藤がそのまま文章になっている。押しつければ本人の傾きを潰し、任せきりにすれば途方に暮れさせる。その間で、あくまで一つの見解として示すという着地を選んでいる。「宣長が、かくもやあるべからんと思ひとれるところ」という言い方は、権威としてではなく一個人の見解として差し出す構えである。
この章句が説くこと
指導自由と型初学者葛藤教え方