夜船閑話 / 序
云く、師鵠林に住すること大凡四十年、鉢囊を掛けしより以來、雲水參玄の布衲纔かに門閫に跨れば、師の毒涎を甘なひ痛棒を滋として辭し去ることを忘るゝ者或は十年或は二十年、鵠林々下の塵と成る事も亦總に顧みざる底あり。盡く是叢林の頭角、四方の精英なり。
新字:云く、師鵠林に住すること大凡四十年、鉢囊を掛けしより以来、雲水参玄の布衲纔かに門閫に跨れば、師の毒涎を甘なひ痛棒を滋として辞し去ることを忘るゝ者或は十年或は二十年、鵠林々下の塵と成る事も亦総に顧みざる底あり。尽く是叢林の頭角、四方の精英なり。
書き下し
云く、師鵠林に住すること大凡四十年、鉢囊を掛けしより以来、雲水参玄の布衲纔かに門閫に跨れば、師の毒涎を甘なひ痛棒を滋として辞し去ることを忘るゝ者或は十年或は二十年、鵠林々下の塵と成る事も亦総に顧みざる底あり。尽く是叢林の頭角、四方の精英なり。
現代語訳
書いて言う。師が鵠林に住まわれてからおよそ四十年、修行の旅の鉢袋を掛けて以来、道を求める修行僧がわずかにその門をまたげば、師の毒のような言葉を甘いものとし、痛い棒の打撃を味わい深いものとして、立ち去ることを忘れる者が、あるいは十年、あるいは二十年とどまり、鵠林の林下の塵となることもまったく顧みない。みな、禅林の中で頭角を現した者、四方から集まった精鋭である。
解説
鵠林は白隠が住した駿河原宿の松蔭寺の別称で、白隠の号でもある。白隠の指導は厳しく、罵声と棒で知られたが、門を叩いた者はその厳しさを甘露のように受け止め、何十年も去らなかったという。厳しい指導者のもとに優秀な人が集まり、しかも離れない。そこには、厳しさの奥に本物があると感じ取れる何かがあったはずだ。人を惹きつけるのは優しさだけではない、ということを示す描写である。
この章句が説くこと
指導厳しさ白隠修行師弟求道
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