驢鞍橋 / 卷中
師問衆、古人多く信不及と說く、信あれは何として道に契ふや。僧云ふ、信心あれは、退く事なく勤むる故に道に契ふ也。師云はく、其儀に非す、信强けれは、塵勞妄情盡く滅する也。故に道と相應する也。僧問ふ、然らは十信を過る等覺の菩薩何そ此の事を得さるや。師云はく、信は是れ道本功德の母也といへ共、信の中よりして自性の開る人もあり、又信は强ふても實の深い人も有るへし。夫れは今時の人を以て知るべし、何とぞしたらは、ひよつと意の移りさうなる人も有り。何としても實の失すましき人もあり。天然生れ付て實の薄いと强いとあり。性の暗いと明いとあり。大略見ると早や見ゆるもの也。古人も人を見て接せしは理り也。
新字:師問衆、古人多く信不及と説く、信あれは何として道に契ふや。僧云ふ、信心あれは、退く事なく勤むる故に道に契ふ也。師云はく、其儀に非す、信強けれは、塵労妄情尽く滅する也。故に道と相応する也。僧問ふ、然らは十信を過る等覚の菩薩何そ此の事を得さるや。師云はく、信は是れ道本功徳の母也といへ共、信の中よりして自性の開る人もあり、又信は強ふても実の深い人も有るへし。夫れは今時の人を以て知るべし、何とぞしたらは、ひよつと意の移りさうなる人も有り。何としても実の失すましき人もあり。天然生れ付て実の薄いと強いとあり。性の暗いと明いとあり。大略見ると早や見ゆるもの也。古人も人を見て接せしは理り也。
書き下し
師問衆、古人多く信不及と説く、信あれは何として道に契ふや。僧云ふ、信心あれは、退く事なく勤むる故に道に契ふ也。師云はく、其儀に非す、信強けれは、塵労妄情尽く滅する也。故に道と相応する也。僧問ふ、然らは十信を過る等覚の菩薩何そ此の事を得さるや。師云はく、信は是れ道本功徳の母也といへ共、信の中よりして自性の開る人もあり、又信は強ふても実の深い人も有るへし。夫れは今時の人を以て知るべし、何とぞしたらは、ひよつと意の移りさうなる人も有り。何としても実の失すましき人もあり。天然生れ付て実の薄いと強いとあり。性の暗いと明いとあり。大略見ると早や見ゆるもの也。古人も人を見て接せしは理り也。
現代語訳
師が皆に問われた。「昔の人は多く『信が及ばない』と説く。信があれば、どうして道にかなうのか」。僧が言った。「信心があれば、退くことなく勤めるので、道にかなうのです」。師は言われた。「そういう意味ではない。信が強ければ、煩悩や迷いの情がことごとく消える。だから道と相応するのである」。僧が問うた。「それならば、十信の位を過ぎた等覚の菩薩が、どうしてこの事を得ないのですか」。師は言われた。「信は道の本であり功徳の母であるといっても、信の中から自性の開ける人もあり、また信は強くても業の深い人もあるだろう。それは今の人を見れば分かる。どうにかすれば、ひょっと心が移り変わりそうな人もいる。どうしても業の消えそうにない人もいる。生まれつき業の薄い人と強い人とがあり、性質の暗い人と明るい人とがある。おおよそ見ればすぐに分かるものである。昔の人が人を見て導き方を変えたのも道理である」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之五・信一道を信ずる志は、専一にして厚かるべし。厚からざれば、彼方此方に志うつりて、道を守ること堅固ならず。得る事あれども、必失ふ。然れば、信なければ、初道を好むといへども、終をたもちがたく、巧言にまよひて、邪道におち入りやすし。之を誠にする者は、人の道なり。之を誠にするの道は、道を信ずること篤きにあり。道を信ずること篤ければ、行之果す。果すとは行ひとぐるなり。行之果せば、守之固しとは、道を守ること堅固にして、失はざるなり。道を信ずること篤からざれは、道行はれず。利欲にひかれ、外物にうつりて、道を守ること堅固ならず。道を信ぜずして、守ること堅固ならずば、万の才能ありとも、見るに足らず。是学者の、重んずべき所なり。
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『慎思録』巻之六子曰く、求や退く、故に之を進む。由や人を兼ぬ、故に之を退くと。蓋し聖人の人を教ふるは、猶ほ良医の薬を用ゐるがごとし。病に寒熱虚実有り。然れども良医能く之を察す。故に薬を用ゐるに補瀉温涼の異有り。人の資質に強弱利鈍の殊有り。聖人能く之を識る。故に教へを施すに進退抑揚の同じからざる有り。過不及の差無からしめて、中行に帰せしめんと欲するなり。
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『慎思録』巻之二大凡そ道を聞くこと、亦た各々禀性の高下に随ひて浅深有るのみ。然れども其の生質通明淳正の士に非ざれば、則ち殆ど此に到ること易からず。偏僻蔽昧の徒は、聞くこと能はざる所なり。故に力を経術に用ゐること数十年と雖も、亦た未だ其の藩籬を窺ふこと能はざる者有り。是れ章句の習、訓詁の学と謂ふべきなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上此仏有ルコトヲ信スレハ。的ヲ見テ矢ヲ発ツ如ク。孜孜トシテ善ヲ作シテ止ヌ。元来平等法性ノ中ニ。此仏ヲ信スレハ。此心即仏心ト云ヘシ。此場処省発モ入ラヌ。悟モイラヌ。教相判釈モイラヌ。文章利口モイラヌコトシヤ。此仏トナルヘキ道ヲ法ト名ル。其道ヲ行フ人ヲ菩薩ト名ツク。此道ヲ守護スル者ヲ諸天神祇ト名クルコトシヤ。此神祇有ルコトヲ信スレハ。タトヒ小根劣機ノ者モ。人シラヌ心ノ内ニモ。悪事ハ思ハレヌ。マシテ悪事ハナサレヌ。人ト云モノハ習ハセニ由ル。善ヲ習ヘハ善ニウツル。此習カ性トナリ。此善カ我心身トナル。天神ニ事テ天神ノ徳ヲ我身ニ全クスル。地水火風ノ四大神ヲ祭テ四大ノ徳ヲ全クスル。此徳ヲ全クスル時節カ聖賢ノ地位ニ入ルヘキ時節ソ。支那国ノ古書ニ。歴代王者ノ五行ノ徳ヲ述ル。是モナキコトニ非ス。天下ヲ掌握ノ中ニ全クスル人ハ。自ラ四大五行ノ徳アルヘシ。万般唯信アル者ト共ニ言フヘキコトシヤ。
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『学問のすゝめ』十五編・事物を疑いて取捨を断ずること・信の世界に偽詐多く疑いの世界に真理多し信の世界に偽詐多く、疑いの世界に真理多し。試みに見よ、世間の愚民、人の言を信じ、人の書を信じ、小説を信じ、風聞を信じ、神仏を信じ、卜筮を信じ、父母の大病に按摩の説を信じて草根木皮を用い、娘の縁談に家相見の指図を信じて良夫を失い、熱病に医師を招かずして念仏を申すは阿弥陀如来を信ずるがためなり。三七日の断食に落命するは不動明王を信ずるがゆえなり。この人民の仲間に行なわるる真理の多寡を問わば、これに答えて多しと言うべからず。真理少なければ偽詐多からざるを得ず。けだしこの人民は事物を信ずといえども、その信は偽を信ずる者なり。ゆえにいわく、「信の世界に偽詐多し」と。
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『呻吟語』内篇・問學・第一に信を體するを要す我は我を信じ得過ぐるも、人は未だ必ずしも我を信じ得過ぎず。故に君子は嫌を避く。若し正大光明の心を以てすること青天白日の如く、又た至誠惻怛の意を以てすること火の熱く水の寒きが如くんば、何の嫌か避く可けん。故に君子の學問は第一に信を體するを要す。只だ信じ了はらば、天下に些子の事無し。
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