論語 / 為政篇
季康子問使民敬忠以勸。如之何。子曰、臨之以荘、則敬。孝慈、則忠。挙善而教不能、則勸。
新字:季康子問使民敬忠以勧。如之何。子曰、臨之以荘、則敬。孝慈、則忠。挙善而教不能、則勧。
書き下し
季康子問う、民をして敬忠以て勧むるには、之を如何せん。子曰く、「之に臨むに荘を以てすれば、則ち敬す。孝慈なれば、則ち忠。善を挙げて不能を教うれば、則ち勧む。」
現代語訳
季康子が「民を敬意と忠義で励ますにはどうすればよいか」と尋ねた。孔子は「自ら威厳をもって臨めば人は敬い、親孝行で慈しみ深ければ人は忠義を尽くし、善を挙げて不善を教えれば人は励まされる」と答えた。
解説
季康子が「民に敬意と真心を持たせ、励むようにさせるにはどうすればよいか」と尋ねると、孔子は「自ら威厳をもって人に接すれば人は敬い、親を大切にし人にも慈しみ深くあれば人は真心を尽くし、善い行いをする人を取り立てて、不慣れな人には教え導けば人は励むようになる」と答えました。人を動かすには、威厳ある姿勢で敬われること、思いやりで真心を得ること、良い手本を示し不慣れな人を根気よく教え導くこと、この三つが揃って初めて人は自ら進んで動くという教えです。これは職場だけでなく、子育てや地域の世話役にも通じます。締まりのある態度と温かい思いやり、そして根気強い手本と教えを合わせ持つことが、人の心を本当に動かす力になります。
この章句が説くこと
指導敬意模範
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