慎思録 / 巻之六
歷世多儒臣。無若明朝。看獻徴錄所載。可知而巳矣。其衆多之中。學術純正者極鮮。陷溺乎異學者。滔滔乎天下皆是。其餘弊流而至胡淸。未止息焉。恐傳于外國而遠及。此弊以陳白沙王陽明可爲作俑。陽明最爲稱首。誤天下後世之蒼生者。在此人。何啻晋人尙淸談之弊而已耶。然明淸之諸儒。才俊略有學識者。亦迷眩。尊之爲宗師。如神明者。何乎。此古人所以王衍何晏之罪爲浮于桀紂也。葢學術之偏異迷溺。雖英俊之人。不能免。自古而然。不足爲怪。學者之所以可恐省也。東坡六一居士集序曰。邪說之移人。雖豪傑之士。有不免者。誠哉此言也。
新字:歴世多儒臣。無若明朝。看献徴録所載。可知而巳矣。其衆多之中。学術純正者極鮮。陥溺乎異学者。滔滔乎天下皆是。其余弊流而至胡清。未止息焉。恐伝于外国而遠及。此弊以陳白沙王陽明可為作俑。陽明最為称首。誤天下後世之蒼生者。在此人。何啻晋人尚清談之弊而已耶。然明清之諸儒。才俊略有学識者。亦迷眩。尊之為宗師。如神明者。何乎。此古人所以王衍何晏之罪為浮于桀紂也。葢学術之偏異迷溺。雖英俊之人。不能免。自古而然。不足為怪。学者之所以可恐省也。東坡六一居士集序曰。邪説之移人。雖豪傑之士。有不免者。誠哉此言也。
書き下し
歴世儒臣多きこと、明朝に若くは無し。献徴録の載する所を看て、知るべきのみ。其の衆多の中、学術純正なる者は極めて鮮く、異学に陥溺する者、滔滔乎として天下皆是れなり。其の余弊流れて胡清に至るも、未だ止息せず。恐らくは外国に伝はりて遠く及ばん。此の弊は陳白沙・王陽明を以て作俑と為すべし。陽明最も称首為り。天下後世の蒼生を誤る者は、此の人に在り。何ぞ啻だ晋人の清談を尚ぶの弊のみならんや。然るに明清の諸儒、才俊にして略学識有る者も、亦迷眩して、之を尊びて宗師と為し、神明の如くする者は、何ぞや。此れ古人の王衍・何晏の罪を以て桀紂より浮ると為す所以なり。蓋し学術の偏異迷溺は、英俊の人と雖も免るること能はず。古より然り。怪しむに足らず。学者の恐れ省みるべき所以なり。東坡の六一居士集序に曰く、邪説の人を移すや、豪傑の士と雖も、免れざる者有りと。誠なるかな此の言や。
現代語訳
歴代で儒者の臣下が多いのは明の朝廷に及ぶものはありません。『献徴録』に載っているものを見れば分かります。その多くの中で、学術の純正な者はきわめて少なく、異学に溺れる者は、滔々として天下みなそうでした。その弊害は流れて清の世に至っても、まだ止んでいません。おそらく外国にも伝わって遠くまで及ぶでしょう。この弊害は陳白沙と王陽明が始めたものとすべきで、陽明が最もその筆頭です。天下後世の人々を誤らせたのはこの人にあります。どうして晋の人が清談を尊んだ弊害程度にとどまるでしょうか。しかし明や清の儒者で、才能があり多少学識のある者までもが迷わされて、陽明を尊んで師と仰ぎ、神のように崇めるのはなぜでしょうか。これが古人が王衍や何晏の罪を桀や紂より重いとしたゆえんです。思うに学術の偏りや迷いは、優れた人でも免れることができず、昔からそうでした。怪しむには足りません。学ぶ者が恐れ省みるべき理由です。蘇東坡の「六一居士集序」に「邪説が人を動かすときは、豪傑の士でも免れない者がある」とあります。まことにこの言葉の通りです。
解説
この章句が説くこと
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