慎思録 / 巻之六
今人於飮食玩器凡嗜好之物。日爲工夫極精巧。然於日用彜倫之道。一切不用心。都粗謬而不理會。人之不好善也如此。所以可自省也。
新字:今人於飲食玩器凡嗜好之物。日為工夫極精巧。然於日用彜倫之道。一切不用心。都粗謬而不理会。人之不好善也如此。所以可自省也。
書き下し
今人、飲食玩器凡そ嗜好の物に於いては、日に工夫を為して精巧を極む。然れども日用彝倫の道に於いては、一切心を用ゐず、都て粗謬にして理会せず。人の善を好まざるや此くの如し。以て自ら省みるべき所以なり。
現代語訳
今の人は、飲食や道具など好みの物については、毎日工夫を重ねて精巧を極めます。しかし日々の人の道については、まったく心を用いず、すべて粗雑で間違っていて、理解しようともしません。人が善を好まないのはこの通りです。だから自分を省みるべきなのです。
解説
食べ物や道具にはこだわり抜くのに、人としての道にはまるで工夫をしない人の姿を描いた短い条です。「彝倫」は『書経』洪範篇に出る語で、人が常に守るべき道、つまり親子・君臣・夫婦などの関係の道を指します。『孟子』告子上にも、指が曲がれば直そうとするのに心が曲がっても気にしないという同じ趣旨の喩えがあります。趣味や仕事の道具には時間とお金をかけるのに、家族との関係には手を抜いていないか、振り返るきっかけになる条です。
この章句が説くこと
人倫修身嗜好善省みる
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