慎思録 / 巻之一
子弟居家。則順父母。宜兄弟。敦親戚。在外。則泛愛衆。親仁。凡接人倫。平心和氣。慈愛恭敬。懲忿窒慾。自反責己。有忍有容。而居常以爲善爲樂。此學者自初學至終身。爲日用當務之工夫。一生之事業。先須於此立基本。
新字:子弟居家。則順父母。宜兄弟。敦親戚。在外。則泛愛衆。親仁。凡接人倫。平心和気。慈愛恭敬。懲忿窒慾。自反責己。有忍有容。而居常以為善為楽。此学者自初学至終身。為日用当務之工夫。一生之事業。先須於此立基本。
書き下し
子弟家に居ては、則ち父母に順ひ、兄弟に宜しく、親戚に敦くす。外に在りては、則ち汎く衆を愛して、仁に親しむ。凡そ人倫に接するに、心を平らかにし気を和らげ、慈愛恭敬、忿を懲らし慾を窒ぎ、自ら反みて己を責め、忍ぶこと有り容るること有り、而して居常善を為すを以て楽しみと為す。此れ学者初学より終身に至るまで、日用当務の工夫、一生の事業為り。先づ須らく此に於て基本を立つべし。
現代語訳
若い人は家にいるときは父母に従い、兄弟と仲良くし、親戚に手厚くします。外にいるときは広く人々を愛し、仁ある人に親しみます。およそ人と交わるときは、心を平らかにし気持ちを和らげ、慈しみ愛し、うやまい慎み、怒りをこらえ欲をふさぎ、自分を省みて自分を責め、忍ぶところも受け入れるところもあって、ふだんから善を行うことを楽しみとします。これは学ぶ者が初学から一生を終えるまで、毎日の務めとすべき工夫であり、一生の仕事です。まずここに土台を立てなければなりません。
解説
前条の「行いを先に」を具体的な日常の振る舞いに落とし込んだ条です。「汎く衆を愛して仁に親しむ」は『論語』学而篇、「忿を懲らし慾を窒ぐ」は『易経』損卦の象伝の言葉で、益軒はこうした経書の言葉を一つの生活規範に編み直しています。家の内と外、身近な人と広い世間の順に並べるのは、朱子学の、近くから遠くへ及ぼす発想です。人間関係の技術を学ぶ前に、怒りを抑え自分を省みる地道な習慣こそ一生の仕事だと教えてくれます。
この章句が説くこと
孝仁修身人倫和
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