慎思録 / 巻之三
凡君子與小人之所由分。固在好義與好利之間。且至於衣服器物與雜藝之所好惡。亦各有不同。小人之所好。每在淫靡與鄙俗。君子之所好。每在質良與典雅。觀其所好惡。而亦君子小人之分見矣。好惡可不愼乎。古者天子巡守。陳詩以觀民風。納賈以觀民之所好惡。志淫好辟。亦此意也。歐陽子曰。視其所好。可以知其人焉。
新字:凡君子与小人之所由分。固在好義与好利之間。且至於衣服器物与雑芸之所好悪。亦各有不同。小人之所好。毎在淫靡与鄙俗。君子之所好。毎在質良与典雅。観其所好悪。而亦君子小人之分見矣。好悪可不慎乎。古者天子巡守。陳詩以観民風。納賈以観民之所好悪。志淫好辟。亦此意也。欧陽子曰。視其所好。可以知其人焉。
書き下し
凡そ君子と小人との由りて分かるる所は、固より義を好むと利を好むとの間に在り。且つ衣服器物と雑芸との好悪する所に至りても、亦各同じからざる有り。小人の好む所は、毎に淫靡と鄙俗とに在り。君子の好む所は、毎に質良と典雅とに在り。其の好悪する所を観て、亦君子小人の分見はる。好悪慎まざるべけんや。古は天子巡守して、詩を陳ねて以て民風を観、賈を納れて以て民の好悪する所を観る。志淫なれば好辟なり、と。亦此の意なり。欧陽子曰く、其の好む所を視て、以て其の人を知るべし、と。
現代語訳
君子と小人が分かれるもとは、もちろん義を好むか利を好むかにあります。そのうえ衣服や道具、雑芸の好き嫌いについても、それぞれ違いがあります。小人が好むのはいつも派手でみだらなものや卑俗なもので、君子が好むのはいつも質がよく典雅なものです。好き嫌いを見れば、やはり君子と小人の違いが見えます。好き嫌いは慎まなければなりません。昔、天子は諸国を巡り、詩を並べさせて民の風俗を観察し、商人に物価を差し出させて民の好みを観察しました。「志がみだらなら好みも偏る」というのもこの意味です。欧陽脩は「その好むものを見れば、その人が分かる」と言いました。
解説
『論語』里仁篇の「君子は義に喩り、小人は利に喩る」を根に、益軒は日常の衣服や道具の好みにまで君子と小人の差が現れると言います。天子巡守の話は『礼記』王制篇にあり、詩で民風を、物価で民の好悪を観たとされます。「志淫なれば好辟なり」も同じ王制篇の言葉です。何を身の回りに置き、何に時間を使うかは、その人の志向をそのまま映します。持ち物や趣味の選び方を、自分の内面を映す鏡として見直すきっかけになる章です。
この章句が説くこと
好悪君子義利典雅
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