慎思録 / 巻之六
義理之學。虛心精慮。沉默而尋思之人得之。如浮躁粗糲而自夸之人。雖才敏也。殆不可得。今人之讀書。多閑勞擾。葢好作爲拙俚之文詞。而費了一生之精力。而作無益害有益。古人謂之爲詩魔。魔者令人狂者。葢癖疾之在身而爲累也。猶邪鬼之託人而爲祟也。苟用這精。而讀於經傳及諸先生之書。庶幾於有益。且如讀倭漢歴史。通古今。亦豈不愈作無用之閑言語乎哉。故有詩才而後可言詩。苟無詩才而作爲者。恐不免詅癡符之誚而巳。
新字:義理之学。虚心精慮。沈黙而尋思之人得之。如浮躁粗糲而自夸之人。雖才敏也。殆不可得。今人之読書。多閑労擾。葢好作為拙俚之文詞。而費了一生之精力。而作無益害有益。古人謂之為詩魔。魔者令人狂者。葢癖疾之在身而為累也。猶邪鬼之託人而為祟也。苟用這精。而読於経伝及諸先生之書。庶幾於有益。且如読倭漢歴史。通古今。亦豈不愈作無用之閑言語乎哉。故有詩才而後可言詩。苟無詩才而作為者。恐不免詅痴符之誚而巳。
書き下し
義理の学は、虚心精慮、沈黙にして尋思するの人之を得。浮躁粗糲にして自ら夸るの人の如きは、才敏なりと雖も、殆ど得べからず。今人の読書、多く閑に労擾す。蓋し好んで拙俚の文詞を作為して、一生の精力を費やし了り、無益を作して有益を害す。古人之を謂ひて詩魔と為す。魔とは人をして狂せしむる者なり。蓋し癖疾の身に在りて累を為すなり。猶ほ邪鬼の人に託して祟りを為すがごとし。苟も這の精を用ゐて、経伝及び諸先生の書を読まば、有益に庶幾からん。且つ倭漢の歴史を読みて、古今に通ずるが如きも、亦豈に無用の閑言語を作るに愈らずや。故に詩才有りて而る後に詩を言ふべし。苟も詩才無くして作為する者は、恐らくは詅癡符の誚りを免れざるのみ。
現代語訳
道理の学問は、心を虚しくして精密に考え、黙って探り思う人が得るものです。浮ついて粗雑で自慢する人は、才気があっても、ほとんど得ることができません。今の人の読書は、多くが無駄な骨折りに煩わされています。好んで拙く俗な詩文を作って一生の精力を費やしてしまい、無益なことをして有益なことを損なっているのです。古人はこれを「詩魔」と呼びました。魔とは人を狂わせるものです。つまり癖が病となって身にまとわりつくことで、邪鬼が人に取り憑いて祟るようなものです。もしこの精力を用いて経書や伝、先生方の書を読めば、有益に近づくでしょう。また日本と中国の歴史を読んで古今に通じることも、無用の閑な言葉を作るよりずっとよいではありませんか。だから詩の才があってこそ詩を語るべきです。詩の才がないのに作る者は、おそらく「詅癡符」のそしりを免れないでしょう。
解説
この章句が説くこと
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