慎思録 / 巻之六
善誘文曰。吉凶悔吝非天。無有不由己者。此固警世之格言。足以戒衆人。若兼論命分。則是可謂知其一而不知其二也。何則災厄自作者固多矣。復有天作者。雖君子不能免其禍。而禍之來。有不可奈何者。故太甲曰。天作孽猶可違。自作孽不可逭。必如此言。而後可無遺論。老子曰。人命在我。不在天。是固養生之要訣。可以戒放恣之人。苟以命之修短。爲不在天。而愼我身。則可以保其天年。其爲益豈不大乎。然亦有不由放恣而短命。由禀賦之薄弱。如顏子是也。不可一槩而論也。
新字:善誘文曰。吉凶悔吝非天。無有不由己者。此固警世之格言。足以戒衆人。若兼論命分。則是可謂知其一而不知其二也。何則災厄自作者固多矣。復有天作者。雖君子不能免其禍。而禍之来。有不可奈何者。故太甲曰。天作孽猶可違。自作孽不可逭。必如此言。而後可無遺論。老子曰。人命在我。不在天。是固養生之要訣。可以戒放恣之人。苟以命之修短。為不在天。而慎我身。則可以保其天年。其為益豈不大乎。然亦有不由放恣而短命。由禀賦之薄弱。如顔子是也。不可一槩而論也。
書き下し
善誘文に曰く、吉凶悔吝は天に非ず、己に由らざる者有ること無しと。此れ固より警世の格言にして、以て衆人を戒むるに足る。若し兼ねて命分を論ずれば、則ち是れ其の一を知りて其の二を知らずと謂ふべし。何となれば則ち災厄の自ら作る者は固より多し。復た天の作る者有り。君子と雖も其の禍を免るること能はず。而して禍の来たるや、奈何ともすべからざる者有り。故に太甲曰く、天の作せる孽は猶ほ違くべし、自ら作せる孽は逭るべからずと。必ず此の言の如くにして、而る後に遺論無かるべし。老子曰く、人の命は我に在りて天に在らずと。是れ固より養生の要訣にして、以て放恣の人を戒むべし。苟も命の修短を以て天に在らずと為して、我が身を慎まば、則ち以て其の天年を保つべし。其の益たる豈に大ならずや。然れども亦放恣に由らずして短命なるもの有り、禀賦の薄弱に由る。顔子の如き是れなり。一概にして論ずべからざるなり。
現代語訳
『善誘文』に「吉凶や悔い・恥は天によるものではなく、自分に由来しないものはない」とあります。これはもちろん世を戒める格言で、人々を戒めるのに十分です。しかし天命や分のことも合わせて論じるなら、これは一つを知って二つ目を知らないと言うべきです。なぜなら、災いは自分で作るものが確かに多いのですが、天が作るものもあり、君子でもその禍を免れられず、禍がやって来るのにどうしようもないものがあるからです。だから太甲は「天が作った災いはまだ避けられるが、自分で作った災いは逃れられない」と言いました。必ずこの言葉のように言って、はじめて言い残しがありません。老子は「人の命は自分にあって天にはない」と言いました。これはもちろん養生の要訣で、気ままな人を戒めることができます。寿命の長短は天にあるのではないと考えて自分の身を慎めば、天寿を保つことができます。その益はなんと大きいことでしょう。しかし気ままによらずに短命な者もあり、それは生まれつきの体質が弱いことによります。顔回がそうです。一概に論じてはなりません。
解説
この章句が説くこと
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