呻吟語 / 外篇・天地・故に太清と曰ふ
天積氣所成,自吾身以上皆天也。日月星辰去地八萬四千里,囿於積氣中,無纖隔微礙,徹地光明者,天氣清甚無分毫渣滓耳。故曰太清。不然,雖薄霧輕煙,一里外有不見之物矣。
新字:天積気所成,自吾身以上皆天也。日月星辰去地八万四千里,囿於積気中,無繊隔微礙,徹地光明者,天気清甚無分毫渣滓耳。故曰太清。不然,雖薄霧軽煙,一里外有不見之物矣。
書き下し
天は積氣の成す所、吾が身より以上は皆な天なり。日月星辰は地を去ること八萬四千里、積氣の中に囿はる。纖隔微礙無く、地を徹して光明なる者は、天氣清きこと甚だしく分毫の渣滓無ければなり。故に太清と曰ふ。然らずんば、薄霧輕煙と雖も、一里の外に見えざるの物有らん。
現代語訳
天は気が積み重なってできたもので、自分の身より上はみな天です。日月星辰は地から八万四千里離れ、積み重なった気の中に囲まれています。細かな隔ても微かな妨げも無く、地まで光が届くのは、天の気がきわめて澄んで、毛ほどの濁りも無いからです。だから太清と言います。そうでなければ、薄い霧や軽い煙であっても、一里の外には見えないものが出てきます。
解説
星の光が地まで届く事実から、天の気の澄みを推論します。薄い霧でも一里先が見えなくなるのだから、何万里も離れた星が見えるのは、間に濁りが一切無い証拠だ、と。観察から性質を導く筋道が明快で、太清という名の理由づけになっています。前に出てきた、生み出したものから知るという方法の実例です。観察から性質を導く筋道が、明快な一段になっています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
天気澄明推論太清
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