慎思録 / 巻之六
山水之形勝者。造化自然之天巧也。其奇怪極美觀。圖畫之精妙者。筆墨所描寫之人工也。是可謂人力奪天巧也。然徒好畫圖者。不知天巧之最可玩賞者。何乎。
新字:山水之形勝者。造化自然之天巧也。其奇怪極美観。図画之精妙者。筆墨所描写之人工也。是可謂人力奪天巧也。然徒好画図者。不知天巧之最可玩賞者。何乎。
書き下し
山水の形勝なる者は、造化自然の天巧なり。其の奇怪、美観を極む。図画の精妙なる者は、筆墨の描写する所の人工なり。是れ人力天巧を奪ふと謂ふべし。然れども徒らに画図を好む者は、天巧の最も玩賞すべき者を知らず。何ぞや。
現代語訳
山水の景勝は、天地の造化による自然の巧みです。その珍しさ・不思議さは美しさの極みです。精妙な絵画は、筆と墨で描き写した人の技です。これは人の力が天の巧みを奪ったものと言えます。しかし、むやみに絵ばかりを好む人は、天の巧みこそ最も味わうべきものだと知りません。なぜなのでしょうか。
解説
名画を愛でる人が、その手本である自然の山水を見過ごすことへの疑問を記した条です。「造化」は天地が万物を生み出すはたらきで、朱子学では自然の理そのものの現れと見られます。益軒は諸国を歩いて紀行文を書き、実地に景色や草木を観察した人でした。写真や画面越しの景色で満足しがちな今、本物の山や川の前に立ってみることは、作られたものの元にある自然を感じ直す機会になります。
この章句が説くこと
自然造化山水観察本物
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・談道・幽に處りて明を燭らすを神照と謂ふ明に處りて幽を燭らせば、未だ物を見る能はずして物先に之を見る。幽に處りて明を燭らす、是れを神照と謂ふ。是の故に言はざる者は喑に非ず、視ざる者は盲に非ず、聽かざる者は聾に非ず。
-
人物志・八觀七に曰く、其の短なる所を観て、以て長なる所を知る。
-
『学問のすゝめ』十二編・演説の法を勧むるの説・視察、推究、読書、談話、著書、演説ゆえに学問の本趣意は読書のみにあらずして、精神の働きにあり。この働きを活用して実地に施すにはさまざまの工夫なかるべからず。オブセルウェーションとは事物を視察することなり。リーゾニングとは事物の道理を推究して自分の説を付くることなり。この二ヵ条にてはもとよりいまだ学問の方便を尽くしたりと言うべからず。なおこのほかに書を読まざるべからず、書を著わさざるべからず、人と談話せざるべからず、人に向かいて言を述べざるべからず、この諸件の術を用い尽くしてはじめて学問を勉強する人と言うべし。すなわち視察、推究、読書はもって智見を集め、談話はもって智見を交易し、著書、演説はもって智見を散ずるの術なり。然りしこうしてこの諸術のうちに、あるいは一人の私をもって能くすべきものありといえども、談話と演説とに至りては必ずしも人とともにせざるを得ず。演説会の要用なることもって知るべきなり。
-
人物志・自序其の安んずる所を察し、其の由る所を觀て、以て居止の行を知る。
-
孫子・行軍篇令素より行われて以て其の民を教うれば、則ち民服す。令素より行われずして以て其の民を教うれば、則ち民服せず。令素より行わるる者は、衆と相得るなり。
-
『呻吟語』内篇・問學・怠惰の時に工夫を看る怠惰の時に工夫を看、脫略の時に點檢を看、喜怒の時に涵養を看、患難の時に力量を看る。