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慎思録 / 巻之六

聖賢與殘賊。其人雖既沒。善惡之芳穢。流于千載而不休。人之一身。豈止于生前百年血肉之軀乎哉。抑身後千歲所毀譽之美惡。亦是可爲其身分內之事。然則何謂聖愚同腐而無餘耶。古人詩曰。秦檜惡名千古臭。岳王忠節萬年芳。謝枋得詩云。人生芳穢有千歳。世上榮枯無百年。此皆言身後之汚名可恥也。若不恥身後之汚名。則臨大節而苟免。偷生背義。何不至之有。如此而沒身者。與禽獸何異耶。古人詩曰。孔丘盜跖倶塵埃。是豈非有害于名敎之言耶。

新字:聖賢与残賊。其人雖既没。善悪之芳穢。流于千載而不休。人之一身。豈止于生前百年血肉之躯乎哉。抑身後千歳所毀誉之美悪。亦是可為其身分内之事。然則何謂聖愚同腐而無余耶。古人詩曰。秦檜悪名千古臭。岳王忠節万年芳。謝枋得詩云。人生芳穢有千歳。世上栄枯無百年。此皆言身後之汚名可恥也。若不恥身後之汚名。則臨大節而苟免。偸生背義。何不至之有。如此而没身者。与禽獣何異耶。古人詩曰。孔丘盗跖倶塵埃。是豈非有害于名教之言耶。

書き下し

聖賢と残賊と、其の人既に没すと雖も、善悪の芳穢、千載に流れて休まず。人の一身は、豈に生前百年血肉の躯に止まらんや。抑々身後千歳毀誉する所の美悪も、亦是れ其の身分内の事と為すべし。然らば則ち何ぞ聖愚同じく腐りて余り無しと謂はんや。古人の詩に曰く、秦檜の悪名は千古臭く、岳王の忠節は万年芳しと。謝枋得の詩に云ふ、人生の芳穢は千歳有り、世上の栄枯は百年無しと。此れ皆身後の汚名の恥づべきを言ふなり。若し身後の汚名を恥ぢずんば、則ち大節に臨みて苟免し、生を偸み義に背き、何の至らざることか之有らん。此くの如くにして身を没する者は、禽獣と何ぞ異ならんや。古人の詩に曰く、孔丘も盗跖も倶に塵埃と。是れ豈に名教に害有るの言に非ずや。

現代語訳

聖人賢者も悪人も、その人がすでに亡くなっていても、善悪の香りと穢れは千年にわたって流れて絶えません。人の一身とは、生きている間の百年の血肉の体に限られるものでしょうか。死後千年にわたって褒められたりそしられたりする美醜もまた、その身に属する事柄とすべきです。そうであれば、どうして聖人も愚者も同じく朽ちて何も残らないなどと言えましょうか。古人の詩に「秦檜の悪名は千年臭く、岳飛の忠節は万年香る」とあり、謝枋得の詩に「人生の香りと穢れは千年残るが、世の栄枯は百年も続かない」とあります。これらはみな死後の汚名を恥ずべきことを言ったものです。もし死後の汚名を恥じなければ、大事に臨んでその場逃れをし、命を惜しんで義に背き、どんなことでもしかねません。そのようにして一生を終える者は、鳥獣と何が違うでしょうか。古人の詩に「孔子も盗跖もともに塵となる」とありますが、これは名教(人倫の教え)を害する言葉ではないでしょうか。

解説

死後に残る評判も自分の身のうちと考え、汚名を恥じる心が大節を守らせる、と説く条です。秦檜は南宋で和議を進め名将岳飛を死に追いやった宰相、謝枋得は元に屈せず殉じた南宋の忠臣です。「孔丘盗跖倶塵埃」は杜甫の「酔時歌」の句で、死ねば聖人も大盗賊も同じだという虚無的な見方を、益軒は名教を損なうと退けます。目先の損得でなく、後にどう評価されるかを思う視点は、仕事上の判断で筋を通す支えにもなります。

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