囲炉夜話 / 第百四十六則・命を捨て得ざれば忠臣と爲ること能はず
捨不得錢,不能為義士。捨不得命,不能為忠臣。
新字:捨不得銭,不能為義士。捨不得命,不能為忠臣。
書き下し
錢を捨て得ざれば、義士と爲ること能はず。命を捨て得ざれば、忠臣と爲ること能はず。
現代語訳
お金を手放せない者は、義士になることはできません。命を投げ出せない者は、忠臣になることはできません。
解説
義と忠という徳には、それぞれ手放す覚悟が要ると説いた、短く鋭い則です。捨不得は口語で、惜しくて手放せないことを言います。人を助けたり正しいことのために尽くしたりする義士は、お金を惜しんでいてはなれないと言います。同じように、主君や国のために尽くす忠臣は、いざというとき命さえ惜しまない覚悟がなければなれないと言います。忠臣と命の組み合わせは、君主のために命を捧げることを最高の徳とした時代の考え方ですが、要は、徳には必ず手放すものが伴うということです。前半は財、後半は命と、手放すものの重さを段階的に上げているのも巧みです。今日に引くなら、何かを本気で守ろうとするとき、自分の損や都合をどこまで手放せるかが、その本気の度合いを示すと言えるでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
義忠覚悟捨身修身
関連する章句
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『文武訓』武訓上一士たる者、戦にのぞんで身を捨つることはかたからず。血気の勇は盗賊もよくするものなり。只身を捨てて義にかなふことかたし。故に、死ぬべからずして死ぬるは、是其身をかろんず。父母よりうけし身をいたづらにするは不孝なり。死ぬべくして死なざるは、是其死をおそれ、命ををしみて君の為にせず、不忠なり。是李太白が言なり。年わかく血気さかんなる人、勇をこのまば、忠孝の道を知りて、生死只義にかなふべし。学問なければ忠孝の道を知らず、死ぬべくして死なず。いやしむべし。死ぬべからずして死ぬ、かなしむべし。勇怯ことなれども、義理にそむけることは一なり。武士は、学問して義理を知れば、死生する理にかなふ。
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『五常訓』巻之四・義仁は人の心とする所、生理なり。義は人の行べき路とする所、道理なり。仁なければ、人心を失へるなり。義なければ、人道を失へるなり。凡義は、つねに居ては、理にしたがひ、欲にしたがはず。変に居ては、節を守りて、利に走らず。艱難に臨みては、君上のため身をすてて、忠を行ふ。義なければ、常に居ては、理の宜しきをすてて、唯利のためにし、変にのぞみては、恩をわすれ、徳にそむき、利につき、害をのがれ、命ををしみ、死をおそれ、君父をすてて敵にくだり、つたなき振舞をしても恥ぢず。禽獣にひとしきわざなり。皆是義を失ふなり。
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『驢鞍橋』卷下一日去る人疱瘡には不浄を嫌ふと云ふを次に、一僧語て曰く、肥前の国多久何某と云ふ人、疱瘡半に嶋原浜の城に出陣せんとす。親類とも大事の病を持ちなから、彼に至るとも、何の用にか立つへきと頻に是れを留む。彼者曰く、厚思に預りなから、何ぞ今度の御用に立たぬと云ふこと有らんや。若し途中にて死せば本望也と云て出陣す、冬陣なれば、寒気甚しけれども、衣を重ることもなく、夜白共に具足計の体にて、養生と云ふこともせず、況して不浄を忌むと云ふこともせざりしかども、結句早く本復して、其陣に忠を尽くされたり。然る則んば、還た指て不浄を嫌ふとも云はれぬこと也と云ふ。師聞て曰く、君の為めに一命を捨てたる程、清浄なること有らんや。義の為めにづんと捨切つたる人ならば、疱瘡の神は云ふに及はす、諸天諸神も皆守護を加へ給はではと也。
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『大和俗訓』巻之六・躬行上一視聴言動は、人の身の四のわざなり。思は又心の動にして、其本なり。善を好み、悪をきらふ事を誠にするは、思をつつしむの道なり。一善を行ふに、其心に、義と利とのわかちあり。義とは我が行ふべき公の理なり。私なくして、我が為にせざるなり。わが身のためにするは義にあらず。利とはわが身のためにする私の心なり。公ならざるをいふ。万の事を行ふに、先義か不義かをかへりみて、義にしたがひ行ふべし。其行ふこと善なりとも、其心義にしたがはずして、わが身の利分のためにせば、是私なり。君に仕ふる一事を以ていはば、奉公をよくつとむるは善なり。真実に忠をなして、わが身を忘るるは、義を正しくするなり。もし奉公をつとめて、つゆばかりも、君の恩寵を得んためにつとむる心あらば、是利をはかるなり。
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