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慎思録 / 巻之六

子弟之輩。雖不肖而不孝不弟。勿忿疾其頑。須從容時敎諭之。不可迫切譴責。如此則父子兄弟。不傷其恩。泮水詩曰。載色載笑。匪怒伊敎。言和顏色爲笑談。而不怒責。從容而敎誨之也。是中養不中。才養不才之道也。且不自譴責。可使他人敎戒。此古者易子而敎之之意。然而子弟不順從于其敎。則巨奈之何。宜容忍。不可忿怒。彼其性素不肖。我譴責之甚。則却益拂戾。是父子相夷之道也。古諺曰。不孝恨父母。欠債怨財主。是小人之常情也。雖堯舜之聖貴爲天子。有不肖之子。不可奈何。是亦天命如此而已矣。况常人乎。不可做憤怒憂苦也。安天命而可也。

新字:子弟之輩。雖不肖而不孝不弟。勿忿疾其頑。須従容時教諭之。不可迫切譴責。如此則父子兄弟。不傷其恩。泮水詩曰。載色載笑。匪怒伊教。言和顔色為笑談。而不怒責。従容而教誨之也。是中養不中。才養不才之道也。且不自譴責。可使他人教戒。此古者易子而教之之意。然而子弟不順従于其教。則巨奈之何。宜容忍。不可忿怒。彼其性素不肖。我譴責之甚。則却益払戻。是父子相夷之道也。古諺曰。不孝恨父母。欠債怨財主。是小人之常情也。雖堯舜之聖貴為天子。有不肖之子。不可奈何。是亦天命如此而已矣。況常人乎。不可做憤怒憂苦也。安天命而可也。

書き下し

子弟の輩、不肖にして不孝不弟なりと雖も、其の頑を忿疾すること勿れ。須らく従容として時に之を教諭すべし。迫切に譴責すべからず。此くの如くなれば則ち父子兄弟、其の恩を傷らず。泮水の詩に曰く、載ち色載ち笑ひ、怒るに匪ず伊れ教ふと。言ふこころは顔色を和らげて笑談を為し、怒責せずして、従容として之を教誨するなり。是れ中は不中を養ひ、才は不才を養ふの道なり。且つ自ら譴責せずして、他人をして教戒せしむべし。此れ古者子を易へて之を教ふるの意なり。然り而して子弟其の教に順従せずんば、則ち巨ぞ之を奈何せん。宜しく容忍すべく、忿怒すべからず。彼其の性素より不肖なるに、我之を譴責すること甚だしければ、則ち却つて益々払戻す。是れ父子相夷ふの道なり。古諺に曰く、不孝は父母を恨み、欠債は財主を怨むと。是れ小人の常情なり。堯舜の聖にして貴きこと天子為りと雖も、不肖の子有りて、奈何ともすべからず。是れ亦天命此くの如きのみ。况や常人をや。憤怒憂苦を做すべからざるなり。天命に安んじて可なり。

現代語訳

子や弟たちが愚かで親不孝・目上に従わなくても、その頑なさを怒り憎んではいけません。ゆったりと、折にふれて教え諭すべきで、厳しく責め立ててはなりません。そうすれば父子兄弟の情愛を損ないません。『詩経』泮水の詩に「顔を和らげ笑みを浮かべ、怒らずに教える」とあります。顔色を和らげて笑いながら話し、叱りつけずにゆったり教えるという意味です。これが、中庸を得た者が得ていない者を養い、才ある者が才なき者を養う道です。また自分で責めずに、他人に教え戒めてもらうのがよいでしょう。これが昔、子を取り替えて教えた意味です。それでも子弟が教えに従わなければ、どうしようもありません。耐え忍ぶべきで、怒ってはなりません。もともと性質が愚かなのに、こちらがひどく責めれば、かえってますます反発します。これは父子が互いに傷つけ合う道です。古いことわざに「親不孝者は父母を恨み、借金をした者は貸し主を恨む」とあります。これが小人の常の情です。堯や舜のような聖人で天子の位にあっても、愚かな子がいてどうすることもできませんでした。これも天命がそうさせたのです。まして普通の人ならなおさらです。怒ったり悩み苦しんだりしてはなりません。天命に安んじていればよいのです。

解説

出来の悪い子弟への接し方を説く条です。「中は不中を養ひ、才は不才を養ふ」は『孟子』離婁下、「子を易へて教ふ」は離婁上の、親が直接責めると父子の情が損なわれるという議論によります。泮水は『詩経』魯頌の篇です。益軒は、厳しく責めるほど反発すると見抜き、他人に教えを任せる工夫や、最後は天命と受け入れる覚悟を説きます。部下や子どもの指導でも、怒りをぶつけるより穏やかに繰り返し、ときに第三者の力を借りるほうが実を結びます。

この章句が説くこと

教育寛容忍耐天命父子

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