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慎思録 / 巻之六

賓之初筵之詩。能形容酗酒之害。可以戒酒徒。白樂天詩。一飮一石者。徒以多爲貴。及其酩酊時。與我亦無異。笑謝多飮者。酒錢徒自費。愚謂。多飮者豈止費酒錢而巳哉。失威儀伐德行。發狂言傷腸胃。而至亡命矣。且其貪部饕餮。亦甚醜矣。其爲禍也。到此而極矣。孟子曰。飮食之人。則人賤之矣。爲其養小以失大也。葢多飮者。其嗜欲亦由習慣而不能忍。放飮爲癖而巳。苟忍而制之。則庶幾乎不至放飮。陶侃爲酒限。宜乎哉。古語曰。花看半開。酒飮微醉。朱子亦以半酣爲限。苟如此。則庶乎無飲酒之失矣。吾故曰。防禍宜怯。忍欲宜勇。

新字:賓之初筵之詩。能形容酗酒之害。可以戒酒徒。白楽天詩。一飲一石者。徒以多為貴。及其酩酊時。与我亦無異。笑謝多飲者。酒銭徒自費。愚謂。多飲者豈止費酒銭而巳哉。失威儀伐徳行。発狂言傷腸胃。而至亡命矣。且其貪部饕餮。亦甚醜矣。其為禍也。到此而極矣。孟子曰。飲食之人。則人賤之矣。為其養小以失大也。葢多飲者。其嗜欲亦由習慣而不能忍。放飲為癖而巳。苟忍而制之。則庶幾乎不至放飲。陶侃為酒限。宜乎哉。古語曰。花看半開。酒飲微酔。朱子亦以半酣為限。苟如此。則庶乎無飲酒之失矣。吾故曰。防禍宜怯。忍欲宜勇。

書き下し

賓之初筵の詩は、能く酗酒の害を形容し、以て酒徒を戒むべし。白楽天の詩に、一飲一石なる者は、徒らに多きを以て貴しと為す、其の酩酊の時に及んでは、我と亦異なること無し、笑ひて多飲の者に謝す、酒銭徒らに自ら費すと。愚謂へらく、多飲の者は豈に止だ酒銭を費すのみならんや。威儀を失ひ徳行を伐り、狂言を発し腸胃を傷り、而して命を亡ふに至る。且つ其の貪部饕餮、亦甚だ醜し。其の禍たるや、此に到りて極まれり。孟子曰く、飲食の人は、則ち人之を賤しむ、其の小を養ひて以て大を失ふが為なりと。蓋し多飲の者は、其の嗜欲も亦習慣に由りて忍ぶこと能はず、放飲癖を為すのみ。苟し忍びて之を制せば、則ち放飲に至らざるに庶幾からん。陶侃の酒の限りを為せしは、宜なるかな。古語に曰く、花は半開を看、酒は微酔に飲むと。朱子も亦半酣を以て限りと為す。苟し此くの如くならば、則ち飲酒の失無きに庶からん。吾故に曰く、禍を防ぐには宜しく怯なるべく、欲を忍ぶには宜しく勇なるべしと。

現代語訳

『詩経』の賓之初筵の詩は、酒に乱れる害をよく描き出しており、酒好きへの戒めになります。白楽天の詩に「一度に一石も飲む者は、ただ量の多さを自慢にする。だが酔いつぶれてしまえば、私と何も変わらない。笑って大酒飲みに言おう、酒代を無駄に使っているだけだ」とあります。私が思うに、大酒飲みは酒代を費やすだけではありません。礼儀を失い徳行を損ない、でたらめを口走って胃腸を傷め、ついには命を落とします。しかもその貪り食らう姿はたいへん見苦しいものです。酒の禍はここに極まります。孟子は「飲み食いばかりする人は人に卑しまれる。小さなものを養って大きなものを失うからだ」と言いました。思うに大酒飲みは、その欲も習慣によって我慢できなくなり、飲みすぎが癖になっているだけです。もし我慢して抑えれば、飲みすぎには至らずに済むでしょう。陶侃が酒量に限りを設けたのはもっともなことです。古い言葉に「花は五分咲きを見、酒はほろ酔いに飲む」とあり、朱子もほろ酔いを限度としました。こうすれば飲酒のしくじりはほぼ無くなるでしょう。だから私は言うのです。禍を防ぐには臆病であるべきで、欲をこらえるには勇敢であるべきだ、と。

解説

飲酒の害を詩や古人の例から説き、節度を勧める条です。賓之初筵は『詩経』小雅の篇で、宴席で酔い乱れる様を描きます。孟子の言葉は告子上篇にあり、口腹の欲という小を養って心という大を失うことを戒めたものです。陶侃は東晋の武将で、酒量に限りを定めていたと伝わります。結びの「禍を防ぐには怯、欲を忍ぶには勇」は益軒の養生論の要です。危険には慎重に、欲望には毅然と、という使い分けは、飲酒に限らず浪費や怒りにも当てはまります。

この章句が説くこと

節度養生

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