慎思録 / 巻之六
人生接人應事之際。苟使大勞心力甚費貨財。如此而不能行善。猶可也。如接人以愛敬。不爲自私。不占便宜。應事微用心微費財。此易爲易行之事。如此則事治人悅。而我亦無慊。朱仁軌所謂終身讓路不枉百歩。終身讓畔不失一段。亦此意耳。
新字:人生接人応事之際。苟使大労心力甚費貨財。如此而不能行善。猶可也。如接人以愛敬。不為自私。不占便宜。応事微用心微費財。此易為易行之事。如此則事治人悦。而我亦無慊。朱仁軌所謂終身譲路不枉百歩。終身譲畔不失一段。亦此意耳。
書き下し
人生、人に接し事に応ずるの際、苟し大いに心力を労し甚だ貨財を費さしめば、此くの如くにして善を行ふこと能はざるも、猶ほ可なり。如し人に接するに愛敬を以てし、自ら私することを為さず、便宜を占めず、事に応ずるに微しく心を用ゐ微しく財を費さば、此れ為し易く行ひ易きの事なり。此くの如くなれば則ち事治まり人悦びて、我も亦慊きこと無し。朱仁軌の所謂、終身路を譲るも百歩を枉げず、終身畔を譲るも一段を失はず、とは、亦此の意のみ。
現代語訳
人生で人に接し物事に対処するとき、もし大いに心身を苦しめ多額の財を費やさねばならないのなら、そのために善を行えないのもまだ仕方がありません。しかし人に接するのに愛と敬意をもって自分本位にならず、得をしようとせず、物事に対処するのに少し心を用い少し財を使うだけなら、これはたやすく行えることです。そうすれば事はうまく治まり、人は喜び、自分にも心残りがありません。朱仁軌の言う「一生道を譲っても百歩の回り道にもならず、一生あぜを譲っても一段の田も失わない」というのも、この意味にほかなりません。
解説
大きな犠牲を払う善ならできなくても仕方がないが、愛敬をもって接し、少し気を配るだけの善を怠ってはならない、という条です。引かれる朱仁軌は唐の人で、『新唐書』孝友伝に子弟を戒めたこの言葉が見えます。譲っても実際に失うものはわずかだという教えです。益軒は日常の小さな善の積み重ねを重んじました。職場でも家庭でも、道を譲る、一言ねぎらうといった手間のかからない配慮こそ、人間関係を穏やかにする土台になります。
この章句が説くこと
善愛敬譲る日常の心がけ
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