慎思録 / 巻之五
程太中退休後所作詩。方稍編錄。亦未嘗以示人也。可以爲法。今人以其所作好示人者。衒其美也。恐不免詅癡符之誚。雖作詩多矣。無益于講學。况雖能之者。有苦思之勞。廢時之失。苟不如此。則不能巧矣。國俗不通于唐詩之聲韻文字。此古來本邦之人。所以拙乎詩也。然則作爲唐詩者。非本邦風土之所宜也。故本邦之人。作唐詩以述其志。比之和歌。甚爲不及。非不得已。雖不作詩可也。唯詠吟古人之詩合于其時情與景致者而足矣。豈不逾自作拙詩而勞苦耶。如古君子之作詩。所謂和順積乎中。而英華發乎外。所以吟咏性情。而言其志也。後世之所以不及也。
新字:程太中退休後所作詩。方稍編録。亦未嘗以示人也。可以為法。今人以其所作好示人者。衒其美也。恐不免詅痴符之誚。雖作詩多矣。無益于講学。況雖能之者。有苦思之労。廃時之失。苟不如此。則不能巧矣。国俗不通于唐詩之声韻文字。此古来本邦之人。所以拙乎詩也。然則作為唐詩者。非本邦風土之所宜也。故本邦之人。作唐詩以述其志。比之和歌。甚為不及。非不得已。雖不作詩可也。唯詠吟古人之詩合于其時情与景致者而足矣。豈不逾自作拙詩而労苦耶。如古君子之作詩。所謂和順積乎中。而英華発乎外。所以吟咏性情。而言其志也。後世之所以不及也。
書き下し
程太中、退休の後作る所の詩は、方に稍編録すれども、亦未だ嘗て以て人に示さざるなり。以て法と為すべし。今の人其の作る所を以て好んで人に示す者は、其の美を衒ふなり。恐らくは詅癡符の誚りを免れず。詩を作ること多しと雖も、講学に益無し。况や之を能くする者と雖も、苦思の労、時を廃するの失有り。苟も此くの如くならずんば、則ち巧なること能はず。国俗は唐詩の声韻文字に通ぜず。此れ古来本邦の人の、詩に拙き所以なり。然らば則ち唐詩を作為する者は、本邦の風土の宜しき所に非ず。故に本邦の人、唐詩を作りて以て其の志を述ぶるは、之を和歌に比すれば、甚だ及ばずと為す。已むを得ざるに非ずんば、詩を作らずと雖も可なり。唯古人の詩の其の時の情と景致とに合ふ者を詠吟して足れり。豈に自ら拙詩を作りて労苦するに逾えずや。古の君子の詩を作るが如きは、所謂和順中に積もりて、英華外に発す。性情を吟詠して、其の志を言ふ所以なり。後世の及ばざる所以なり。
現代語訳
程太中は引退した後に作った詩を、ようやく少し編集して記録しましたが、それでも人に見せたことはありませんでした。これを手本とすべきです。今の人が自分の作ったものを好んで人に見せるのは、その美しさをひけらかすのです。おそらく下手な作を見せびらかすというそしりを免れないでしょう。詩をたくさん作っても、学問を講じることには益がありません。まして詩がうまい者でも、苦しんで考える労と、時間を無駄にする損があります。そうでなければ巧みにはなれないのです。わが国の風俗は漢詩の音韻や文字に通じていません。これが昔からわが国の人が詩の下手な理由です。そうであれば、漢詩を作ることはわが国の風土にふさわしいものではありません。だからわが国の人が漢詩を作って志を述べるのは、和歌と比べてはるかに及びません。やむを得ないのでなければ、詩を作らなくてもかまいません。ただ昔の人の詩で、その時の心情や景色に合うものを口ずさめば十分です。自分で下手な詩を作って苦労するより、ずっとよいではありませんか。昔の君子が詩を作ったのは、いわゆる「和やかで素直な心が内に積もって、美しい花が外に現れる」もので、性情を歌って志を述べたのです。これが後世の及ばないところです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之五和歌は、我が国俗の宜しき所にして、詞意通暁し易し。故に古人の歌詠は極めて精絶なり。古昔婦女と雖も、亦之を能くする者多し。唐詩は、本邦の風土の宜しき所に非ず。其の詞韻国俗の言語に異なり、中華に模倣し難し。故に古昔の名家と雖も、其の作る所拙劣にして、和歌に及ばざること遠し。我が邦は只和歌を以て其の志を言ひ其の情を述ぶべし。拙詩を作りて以て詅癡符の誚りを招くことを要せず。
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『慎思録』巻之五本朝の歌詠は、微婉にして温雅、且つ精巧を極むる者多し。恐らくは中夏の歌詩と争ひて頡頏を為すべし。若し乃ち国字の文章は、専ら艶麗を務むと雖も、而して体製柔媚なり。然れども其の奇巧なる者数家は、亦以て倭歌に亜ぐべし。若し夫れ本邦の詩文は、古昔名家の製と雖も、中華の作者と比讎を為すに足らず。故に本朝の詩文を以て之を和歌和文に較ぶれば、其の巧拙雅俗、日を同じくして談ずべからず。此れ豈に国俗と土宜とに合はざるに縁るに非ずや。
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『慎思録』巻之五古昔本邦の名士、好んで文章詩賦を作為すと雖も、古人の正体に傚はず。故に鄙俗に近くして古雅に遠し。其の作る所の文詞は、軟態にして靡曼、華飾を好みて淫媟に流る。儒士の文と為すべからず。且つ字を布くこと多く顛倒し、字を連ぬるに俗語を用ひて、詞を作ること古に本づかざる者多し。今の人能く其の詩を誦し其の文を読めば、則ち其の可否を知るべし。
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『慎思録』巻之五古詩三百篇は、吟玩して以て性情を養ひ、諷諭を以て教へと為す。其の体為るや、温柔敦厚、平易微婉なり。是れ風雅の道にして、詩家の祖たり。詩を作る者、須らく此を以て法と為すべし。今の詩を作る者、此の理に達せず、彫虫纂織し、安排布置して、以て巧飾を求むるを工夫と為す。故に詩を作る者、反りて心気を苦しめ思慮を費やし、功を妨げ事を廃す。是れ玩物喪志の甚だしき者なり。所謂徒に益無きのみに非ず、而して又之を害するなり。才性有りて心力を費やさざる者は、之を作りて以て其の志を言ふも、亦可なり。文学に乏しく材器無き者は、強ひて作ることを要せず。唯思ひを寡くし事を省くのみに非ず、又以て詅癡符の謗りを免るべし。蓋し本邦の土俗は韻語に通ぜず。此れ詩に拙き所以なり。
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『慎思録』巻之六詩を能くせざる者は、詩を知らずして妄りに作ることを好み、却つて自ら私かに以て巧なりと為して、其の拙陋を知ること能はず。好んで無用の閑言語を作り、毎に以て人に夸示す。識者の誹笑を免れ難し。然れども観る者、面に其の拙を誚むるに忍びず、退きて後に言ふ。作者は知らず。顔氏家訓の所謂詅癡符の謂なり。恥づべきなり。吾輩素より拙陋なり。敢へて詩を作ることを好まざる所以なり。
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『慎思録』巻之六古来本邦の文学の士、往往詩文を作為することを喜ぶ。其の工夫甚だ苦し。然れども其の文字多しと雖も、中華の作に似ず、作文の法度無き者多し。惜しむべし、箇の無益の閑労擾を做し、枉げて心力を費やすことを。若し果たして道を求むるの志有らば、断じて此に到らじ。