慎思録 / 巻之五
本朝之歌詠。微婉而溫雅。且極精巧者多矣。恐可與中夏之歌詩爭爲頡頏。若乃國字之文章。雖專務艶麗。而體製柔媚也。然其奇巧者數家。亦可以亞乎倭歌矣。若夫本邦之詩文。雖古昔名家之製。不足與中華之作者爲比讎。故以本朝之詩文較之和歌和文。其巧拙雅俗。不可同日而談也。此豈非緣不合國俗與土宜乎哉。
新字:本朝之歌詠。微婉而温雅。且極精巧者多矣。恐可与中夏之歌詩争為頡頏。若乃国字之文章。雖専務艶麗。而体製柔媚也。然其奇巧者数家。亦可以亜乎倭歌矣。若夫本邦之詩文。雖古昔名家之製。不足与中華之作者為比讎。故以本朝之詩文較之和歌和文。其巧拙雅俗。不可同日而談也。此豈非縁不合国俗与土宜乎哉。
書き下し
本朝の歌詠は、微婉にして温雅、且つ精巧を極むる者多し。恐らくは中夏の歌詩と争ひて頡頏を為すべし。若し乃ち国字の文章は、専ら艶麗を務むと雖も、而して体製柔媚なり。然れども其の奇巧なる者数家は、亦以て倭歌に亜ぐべし。若し夫れ本邦の詩文は、古昔名家の製と雖も、中華の作者と比讎を為すに足らず。故に本朝の詩文を以て之を和歌和文に較ぶれば、其の巧拙雅俗、日を同じくして談ずべからず。此れ豈に国俗と土宜とに合はざるに縁るに非ずや。
現代語訳
わが国の和歌は、さりげなく婉曲で温和で雅やか、しかもきわめて精巧なものが多いのです。おそらく中国の詩歌と競って肩を並べることができるでしょう。仮名の文章は、もっぱら艶やかな美しさに努めていて、その形はなよやかです。しかしその奇抜で巧みな数人の作者は、和歌に次ぐものとしてよいでしょう。ところがわが国の漢詩文は、昔の名家の作でも、中国の作者と比べるには足りません。だからわが国の漢詩文を和歌や和文と比べると、その巧拙や雅俗は、同じ日に語ることもできないほど違います。これはわが国の風俗と風土に合わないからではないでしょうか。
解説
益軒は、和歌は中国の詩歌と肩を並べうるほど優れ、仮名文学もそれに次ぐと高く評価する一方、日本人の漢詩文は名家の作でも中国に及ばないと言います。その原因を、言語と風土に合うかどうかに求めます。儒者が和歌や和文の価値をこれほど明確に認めるのは、当時としては珍しいことでした。益軒は仮名交じりの平易な文で多くの教訓書を書き、広く庶民に読まれました。自分の言葉で書いてこそ、人の心に届く表現ができる。母語で考え表現することの力を再認識させる一条です。
この章句が説くこと
和歌和文風土国俗表現
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『慎思録』巻之六古来本邦の文学の士、往往詩文を作為することを喜ぶ。其の工夫甚だ苦し。然れども其の文字多しと雖も、中華の作に似ず、作文の法度無き者多し。惜しむべし、箇の無益の閑労擾を做し、枉げて心力を費やすことを。若し果たして道を求むるの志有らば、断じて此に到らじ。
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