慎思録 / 巻之五
明方孝孺贈鄭顯則序。論文章以惡乎好奇與平易立說。於作文之學。甚有所發明。學者之所當玩覽也。曾南豐之文。比諸家文章。議論純正。精詳。非有得乎經術不能也。三蘇及荊公之輩所不及也。朱子稱之也宜矣。
新字:明方孝孺贈鄭顕則序。論文章以悪乎好奇与平易立説。於作文之学。甚有所発明。学者之所当玩覧也。曽南豊之文。比諸家文章。議論純正。精詳。非有得乎経術不能也。三蘇及荊公之輩所不及也。朱子称之也宜矣。
書き下し
明の方孝孺の鄭顕則に贈るの序は、文章を論じて、奇を好むと平易とを悪むを以て説を立つ。作文の学に於て、甚だ発明する所有り。学者の当に玩覧すべき所なり。曾南豊の文は、諸家の文章に比して、議論純正精詳なり。経術に得る有るに非ずんば能はざるなり。三蘇及び荊公の輩の及ばざる所なり。朱子之を称するも宜なり。
現代語訳
明の方孝孺の「鄭顕則に贈る序」は、文章を論じて、奇を好むことと平易とをどう見るかについて説を立てています。文章を作る学問において、大いに明らかにしたところがあります。学ぶ者がよく味わって読むべきものです。曾南豊の文章は、諸家の文章に比べて、議論が純正で精しく詳しいものです。経書の学問を身につけていなければできないことです。三蘇や王荊公らの及ばないところです。朱子がこれをほめたのも、もっともなことです。
解説
方孝孺は前にも登場した明初の儒者です。曾南豊は北宋の曾鞏で、唐宋八大家の一人に数えられ、経学に根ざした端正な文章で知られます。三蘇は蘇洵・蘇軾・蘇轍の父子、荊公は王安石です。朱子は曾鞏の文を特に好み、その文章を学んだと伝えられます。益軒は、奇抜さを求めず平易に道理を述べる文章を理想とし、その裏付けとして経学の素養を重んじました。わかりやすく正確な文章は、深い理解があってこそ書けるものです。文章の質は中身の理解の深さを映すという教えです。
この章句が説くこと
文章平易曽鞏経術純正
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『慎思録』巻之五方孝孺の文は、往往義理を発明し、治道に補ひ有る者多し。其の戒恃才の一篇は、最も規戒に切なり。君相為るの人の、宜しく観覧すべき所なり。以て病に応ずるの薬石と為すべし。凡人も皆亦当に玩覧すべし。屠漸山之を評して、唯筆勢音節を称して、世教に関はるを称せず。何ぞ其の玩読の膚浅なるや。孝孺の経済の学、忠義の節は貴ぶべし。不幸にして終はりを保たず。惜しむべきかな。
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